【気づきの第一歩 意識してみる】

施設看護師としての久々投稿★

日常のことで中々物事が解決しない。

いろんな大変!!ということに追われている。そんな相談をよく受けます。

起こっていることに対して、本当は何が問題か?を見つめて、解決しないといつまでも大変。

まず、

高齢者介護で、

はじめに【おかしいな、いつもとちがうな】に気づいて発信できるか!!

①見る観察

②気づく

③発信する

④プラスにつなげる

【気づく力を養う】

その一歩はどうやって踏み出すのか?

小さなことでも、ひとつのことを決めて、やってみること、大切だなと思います。

たとえば、

●毎日、意識して見る(観察する)ものを決める。

※一定の期間、毎日意識して観察する。習慣を作る。

例えば、

ご利用者の食べている姿を毎日意識して観察する。

皮膚の状態を意識して観察する。

認知症の方であれば、どんな行動をされるのか?その方の強みは?弱みは?意識して観察し書き留める。

などなど

これは本当に一部をあげましたが、

まだまだ深掘りできます

●食事の召し上がり方

メニュー、好き嫌い、手の動き口への運び方、いつまでもモゴモゴしていないか?口に食事が残ってないか?食事の量は?時間は?飲み込み方は?姿勢は?誰と食事する?周りの環境は?……..まだまだある

口へのお食事の運び方がおかしいな、あっ椅子への座り方がおかしいんだ。すべった座り方になって背中が丸まっている。お腹が圧迫して食べにくいよね。足がぶらぶらして床についていない。安定して食べられないよね。テーブルの高さがあっていない。アゴをあげて食べると飲み込む時に気管に入りやすくなって誤嚥するしあぶないよ。改善しよう。

生活の中のそういう視点をしっかり共有し、いい方向へつなげる。

生活の中で一番大切なのは介護で支えている方の観察、視点!!

日常のことは現場がよくわかってる。介護は専門職です

気づきをつなげるためには、

どうでしょう?

流れ作業でしていませんか?

余裕なくしていませんか?

まっいいかって過ごしてないですか?

知識、技術も大切ですが、

心が大切!!

毎日、どんな思いで仕事をしているか?何のために?しているか?

立ち止まってみる。

出来ない理由を言う人、諦めている人、感じなくなってる人多いですよね。

もったいないなー。

相手に受け入れられる自分を作る★

これもひとつの習慣。

①笑顔でいる

②ありがとうというなど、

毎日繰り返し、プラスのことをして習慣化、脳易に落とし込む!!

みなさんのあり方やり方次第で人は変わる★

一ミリでも一歩でも変わるためには、具体的に一つすることを決めてやること★

私もまた新しい事、

私もあらためてやってみます!!

【落水洋介、本当の意味で前向きになる転換期】

このブログと実際の動画を見て、

正直、すごく泣いてしまった私。

https://ameblo.jp/1982100719821007/entry-12552977012.html

PLS(原発性側索硬化症)の難病の落水洋介くん。いずれ身体が動けなくなると言われています。

どん底に落ちた時、もう這い上がるしかないと、気持ちがマイナスやプラスに傾いたりしながら、笑顔でいるクセ(習慣)をつけて行き、今は笑顔で沢山の応援者が繋がっていっている。

【今が一番幸せ】

でもね…。家族にはいつまでも素直になれなくって、本人もご家族も本当に苦しんでたね。

洋介くんの親との話を聞いてたら、うちの息子雄太と重ねてしまい、逆に母親の立場になりムカついたり、でも家族って客観的になれないから仕方ないな、わかるわと思ったり。

いつだったかな、

何でいつも親にそんな感じなの?って責めた時、本当は親が歳をとりお世話をしないといけないのに、(障害をもち)子どもの自分の方がお世話にならないといけなくなるなんて。

辛すぎると。

何もいえなくなった。

本当の気持ち。

甘えたくない、甘えられない、まだ僕は動ける、自分で動きたい、

本当は感謝でいっぱいなのに、反抗したりする。

でも、マイナスに考えても仕方がないし、とにかく動いてドンドン動かないと、とまると恐いんだろうなと。

逆にご家族の気持ちになると。

そんな彼の気持ちをわかってるからこそ、腫れ物に触るようになっていって、そんな葛藤が見え隠れしていた。

落水父や落水母とお話すると、

洋介のおかげでと感謝されている言葉も多く、洋介が助けてとか協力してといったら全力で支えたいと、家族みんながそう思ってると。

落水母、

家ではね、身体が少しずつ動けなくなっている息子のために、いろいろお節介焼いてしまい、ポータプルトイレを置いてみたり、手作りの尿器を作ってみたり。

でも、洋介くんがまだ自分でやりたい、動きたい気持ちも凄くわかってるから、悩んでいるお母さんの姿がとても、私は愛おしく思えました。

頑固であった落水父も、

口を出すと洋介に嫌がられるからって、グッとガマン。

いつも忙しくしている姿をFacebookでチェックして、時間管理ができないのが心配、本当は自分が変わってやれたらと。

時々、苛立ちがそりゃーでてくるだろうね(笑)

ご兄弟も福岡に居ますが、それぞれご心配されている事、身に染みて感じどうしたものだろうなと思っていました。

ただ、洋介くんが外で活動している様子をお伝えするしかなかった無力な私💦

奥さんの文さん★

障害を持った旦那さんをもち、子供をどうやって育てたら?とか、色々葛藤したよね。

でも、最近、おりお喫茶をはじめて、素敵な笑顔😊

いろんな夫婦の形がある。

それでいいと思っているよ😊

それぞれの思い、それぞれの形。

それぞれの幸せ。

今、ここに

restart(再出発)という言葉が

思い浮かびました。

洋介くんが、そんな弱さを剥き出してぶつけたから、これから本当の意味での前向きに変換していくんだと感じています✨

12月28日のコンサートは

そんなリスタートした落水洋介の話が聞けるかな😊

本当に「前向きは技術」とても素敵な言葉で名言だなぁと、仲間としてそんな彼を誇らしく思っています。

楽しみにしています★

「本質が問われる時代へ」

もういい加減気がつかないといけない。

目をつぶっていても、時代は著しく変化している。

私たちは、今まで生きてきた時代や生い立ち【環境】で、作られ生きている。

資本主義、

競争社会、みんなと同じ行動をしないと外されてしまう。

学校では、ティーチングで一方的に教えられた。

他の人と合わせることを学び、個性が出ると変わりものと周りからレッテルをはられる。

大量生産、大量消費。

いかに効率よく動き稼ぐかというルールを前提に生きてきた世代。

本当の自分の個性と向かいあうことを伏せてきた私たちだから、社会に出たら、右にならえで生きていくことが楽で。

でも、実際何かあったら対応できない。

ある時、ふと気がつく。

「私何やってんの」って。

私は10代に尾崎豊の歌と出会った時、それがスタートだった感じがする😁

何のために生き、何がしたいのか?

何で人間関係がうまくいかない?

自分のプライドを守るのに必死で、崩されそうになると否定し攻撃する人がいる。私が悪くないんだ!!

この人が悪い、この職場が悪いなんて。よくあること。

環境に汚染されている私たち。

心がすさんできて、どうしていいのかわからなくなる。

介護の世界でもそう。

ルーチン業務で時間に追われ、それぞれの価値観で行われる仕事。

雲を掴むような仕事をしている。

医療も同じ、何で専門職なのにこんなことも知らなかったんだろうと、

福祉の看護師になって、本質を知った私。

今からの時代は、ITやAIの情報時代に。

私たちが擦り込まれたルーチン作業的なものは、ITやAIでどうにかなり、心ある本質的なものが価値あるものになる時代に変わっていく。

病院も、患者さんの検査データーも自動入力で、ピピっと診断名が出てきたりなんかして、

薬剤師も薬の分包や処方も機械がする。

でっ、そこで大切なのは人として、心ある人がとても必要とされ、価値あるものとされていく。

医師も薬剤師も、栄養士も、そう私たち看護師も、病院から外へ出て、臨機応変に動ける人に光があたっていく。

困っている人のその場所へいく。

それが本来の姿✨

※映画ピアより~ 感動しますよ✨

今まで、その感覚おかしくない?とか、個性的で外されてきた人が活躍する時代へなるんだろうな😊

今、生き辛さを感じている人へ、

認めて欲しい、愛されたい。

そういう気持ち出してもいいと思う。吐き出した時に、周りを見たらきっと支えてくれている人の愛に気がつく。

自分を大切に、今までの環境に汚染されてただけなんだから。

可能性がない人なんていない。

これからは、自分の本質と向かい合い自分らしく一歩が出るように。

明るい未来のためには、心が喜ぶことをしたいですね。

私もまだまだ、修行中です★

一生修行かもね(笑)

【難病や病気の奥さんだって、楽しんで生きるんだ!!】

北九州の八幡西区折尾という町に37歳コンビ難病の落水洋介くんと、小脳梗塞の大場崇生くんが住んでいます。

折尾のドルフィンというところにその彼らと集っているコミュニティがありました。

月に1~2回ただ、食べ物や飲み物を持ち寄って集まりしゃべる場所。

【難病の落水とはまだの部屋】

落水くんがいたから、はじめ集まった人が多いのですが、そこから繋がる関係が妙に楽しくって、時に奥さまたちも参加されるようになりました★

濱田くんの協力がないと出来なかった😊

ある日のこと、

そのドルフィンというコミュニティの場所が10月になくなるとのことで、どうしよう!!という話になりました。

落水くんは仲間がどこか折尾に集える場所ができないか?

そして、奥さんの文子さんにも何か出来ることがないんだろうか?と考えはじめました。

一方、大場崇生くん。

小脳梗塞で倒れ、病院のベッドでみた同級生の落水くんのブログ。

とても励まされ、洋介のおかげでがんばろーという気持ちが出てきて、

私が出会った時も、病院での対応についての葛藤や症状についての不安。妻や子を抱えてどうしようかと悩み中でした。

しかし、病院をかわり転機になり、身体も回復してきだした時、仕事はどうしたらよいかという壁に打ち当たり。

現在も小脳梗塞で時にふらつきがあり、リハビリに通っているものの障害者ではあるが、障害者までは認定されず、宙ぶらりん。

彼は、前向きな人間ではありますが、とても悔しい思いしてきて。

でも、それをそばで支えている紗代さんも大変。

二人の奥様について、

それぞれは、彼らを通じて知り合いお会いし、いつも子供さん大切に、笑顔が素敵で、私も大好きになりました。

私はすごいなーと思います。

彼女らをみると、世の中同じような思いで旦那さんを支えている人も沢山いるんだろうなーと感じました。

子供もいながら、生活も心配で。その立場にならないとわからないことも沢山あると思います。

おりおのコミュニティで

人の温かさやに出会った彼女たちの中に芽生えたのが、

私たちも何か出来ないのであろうか?ということでした。

崇生くん夫婦と落水くん😊↓

正直、喫茶をはじめようとなった時も不安一杯で、何をどうしたらよいかわからない状態。

でも話し合い、ただ、温かいホッとする場所が作れたらいいねとの言葉。

それを聞き、私はその気持ちだけでいいなと思ったんです。

お互い様でできる場所づくり💕

旦那さまは、障害を持っていても、前向きに進む素敵な発想がある人たち。

そんな夫婦をみていると、絶対ステキな場所ができると確信したのです。

それには、周りの仲間が支え、

話しているうちに、これもあれもとイメージが広がり、ワクワク感が伝えわってきて、

パン屋さん、コーヒー屋さん、自分のお店を持たれているオーナー等、応援者も広がり★

落水洋介くんの奥さまはモデルさんみたい😊↓

11月17日はプレオープン、そして、12月からは平日の昼間、皆さんが立ち寄れる場所を作ることになりました😊

https://cafe0908.amebaownd.com/

Facebookで発信しています。

https://facebook.com/events/2759940194056881/?ti=icl

ぜひ、皆さん応援してほしいです📣顔を出していただければも思います!!

つづきの物語はまたの機会に😊

【言葉の意味や伝え方 パート①】

私は、17年前、介護施設に勤めはじめた時、医療の言葉をわかりやすく説明することがよく出来ませんでした。

施設では医師がいない分、医師とコンタクトをとって、ご家族に説明をしないといけない。

また、介護職員には今まで使っていた言葉が通じず、看護師だから偉そうに上から話すと言われ。

くだいても、くだいても砕ききれず(笑)相手がわかってくれないと人のせいにしていた生意気な私も時々いました。

でも現実

わかっているつもりでわかってなかったのは私💦

全部物事を知ってるかと言えば知らなかったし、言葉の使い方以前に、意味が詳しくわからないと説明できない。

そして、相手や環境を知って伝えることの大切さも学んできました。

その都度調べ、学ぶ。

仕事をしていて【知ること】は当然のこと。

そして、その言葉を大切に相手に理解していただくことで、安心感を感じてもらえたり、信頼関係もそこで得ていくんだと感じました。

知ることは自信にも繋がります😊

しかし!!

そんなふうに偉そうに言ってもですよ、わかってなかった自分に一年前ちのよしかずさんに出会いまた、気づいてしまったのです。

愚かな私。

介護現場での単語(言葉)の意味をしっかり理解しているかどうか?

久々頭をガツンと殴った方の登場!!

※渡辺哲弘さんが、一番初めに私の頭を殴りました(笑)

介護職の方も、

単語ひとつひとつをわかって使っているかといえば、出来ていない。

見よう見まねで業務を行っている現実。また、間違った呼び方もしている。

健側(けんそく)をけんがわと呼んでいたり、

入れ歯のことを、義歯(ぎし)というのですが、ぎばと読んだ方もいた。

また、急にADLは何?説明しなさいと言われて答えられますか?

日常生活動作

食事・更衣・移動・排泄・整容・入浴など生活を営む上で不可欠な基本的行動を指す。

では、整容ってどんなこと?

移動ってどんなことを示すの?くだけは砕くほど奥深い!!

そして、なにより、

介護する側、

人それぞれの捉え方をされて、

介護を受ける側って、

どれだけのことよ?って思いません?

そこで、

一緒に学んだ松本翔太くんは、ちのさんの勉強から衝撃をうけ、

まず言葉を知ることからはじめたいと思い勉強会をはじめました。

わかりやすい言葉を使う。

単語ひとつに対し、読み方、意味、伝え方を学び、集まった方の事例もプラスにされていくとドンドン楽しくなっていきます😊

また、いろんな事業所間や業種間で学びも出たり、繋がりもできたりと楽しくなります。

何よりも楽しく会話できることが、仕事終わりに参加しても、次の日にまた頑張ろーってなるものです。

みなさんも是非参加されませんか?

北九州市内の事業所を巡りながら、二週間に一回集まっています(今のところは、第二、第四火曜日19時)

病みつきになりますよ😊

追伸

まだ、周りの方で認知症のことを認知と呼ぶことが多い現実に頭悩ませます。認知がすごいというと?

さて、どういう意味でしょう?

【言葉の意味や伝え方 パート①】

私は、17年前、介護施設に勤めはじめた時、医療の言葉をわかりやすく説明することがよく出来ませんでした。

施設では医師がいない分、医師とコンタクトをとって、ご家族に説明をしないといけない。

また、介護職員には今まで使っていた言葉が通じず、看護師だから偉そうに上から話すと言われ。

くだいても、くだいても砕ききれず(笑)相手がわかってくれないと人のせいにしていた生意気な私も時々いました。

でも現実

わかっているつもりでわかってなかったのは私💦

全部物事を知ってるかと言えば知らなかったし、言葉の使い方以前に、意味が詳しくわからないと説明できない。

そして、相手や環境を知って伝えることの大切さも学んできました。

その都度調べ、学ぶ。

仕事をしていて【知ること】は当然のこと。

そして、その言葉を大切に相手に理解していただくことで、安心感を感じてもらえたり、信頼関係もそこで得ていくんだと感じました。

知ることは自信にも繋がります😊

しかし!!

そんなふうに偉そうに言ってもですよ、わかってなかった自分に一年前ちのよしかずさんに出会いまた、気づいてしまったのです。

愚かな私。

介護現場での単語(言葉)の意味をしっかり理解しているかどうか?

久々頭をガツンと殴った方の登場!!

※渡辺哲弘さんが、一番初めに私の頭を殴りました(笑)

介護職の方も、

単語ひとつひとつをわかって使っているかといえば、出来ていない。

見よう見まねで業務を行っている現実。また、間違った呼び方もしている。

健側(けんそく)をけんがわと呼んでいたり、

入れ歯のことを、義歯(ぎし)というのですが、ぎばと読んだ方もいた。

また、急にADLは何?説明しなさいと言われて答えられますか?

日常生活動作

食事・更衣・移動・排泄・整容・入浴など生活を営む上で不可欠な基本的行動を指す。

では、整容ってどんなこと?

移動ってどんなことを示すの?くだけは砕くほど奥深い!!

そして、なにより、

介護する側、

人それぞれの捉え方をされて、

介護を受ける側って、

どれだけのことよ?って思いません?

そこで、

一緒に学んだ松本翔太くんは、ちのさんの勉強から衝撃をうけ、

まず言葉を知ることからはじめたいと思い勉強会をはじめました。

わかりやすい言葉を使う。

単語ひとつに対し、読み方、意味、伝え方を学び、集まった方の事例もプラスにされていくとドンドン楽しくなっていきます😊

また、いろんな事業所間や業種間で学びも出たり、繋がりもできたりと楽しくなります。

何よりも楽しく会話できることが、仕事終わりに参加しても、次の日にまた頑張ろーってなるものです。

みなさんも是非参加されませんか?

北九州市内の事業所を巡りながら、二週間に一回集まっています(今のところは、第二、第四火曜日19時)

病みつきになりますよ😊

追伸

まだ、周りの方で認知症のことを認知と呼ぶことが多い現実に頭悩ませます。認知がすごいというと?

さて、どういう意味でしょう?

【私の認知症のばぁちゃん】

私のばぁちゃんは、特別養護老人ホームで最後は過ごした。措置時代、平成10年92歳でなくなった。

私自身は、2歳の頃から若松の有毛という場所で、祖父、祖母、父、母、兄と過ごして育った。

祖父じぃちゃんは、私が小学校二年生の時肺がんの骨転移で亡くなった。

背中にコブができて痛がってると、嫁である母が病院に付き添い、発見した時には末期だった。

九州厚生年金病院に入院し、じぃちゃんは苦しそうに亡くなったのを覚えている。

とても優しいじぃちゃんで大好きで、苦しんでいる姿を見て、神様はひどいと言っていたのを覚えている。

ばぁちゃんは気性の激しい人だった。

ジュリー(沢田研二)とプロレスのテレビを観るのが好きで、アメをやるから一緒にテレビを見ようとよく誘われて、テレビの下の扉から氷砂糖を取り出しては、私の口に入れてくれていた。

私が学生の時、ばぁちゃんは、大腸検査をした時に体調を崩し食事が食べれなくなった。

病院から電話があり、命が危ないのかと思ったら、混乱状態で点滴を抜くので大変だということだった。

認知症状の悪化💦

どうにか食べられるようにはなったが、認知症の祖母との生活がこんなに大変なものになるとは思ってはなかった。

自宅に帰ってきたら、

私をどこかにやったらいけないと監禁されそうになるわ。

財布が無くなったからと、何度も夜叩き起こされるわ。

私は、いいことを考えたと思い、同じ財布を👛買って、ばぁちゃんここにあるよと渡していた。

(ある時、手に二つ同じ財布を持っていて混乱していた💦)

満洲に昔いたことがあり、「クーニャン」とよばれたと思えば(娘のことらしい)、泥棒が服を変な風にしてタンスに戻してくると、自分で破ったりしてぐちゃぐちゃにして、いれていて。

泥棒のマークがあるとまた、呼び出される、勘弁してくれーと思い行く。

泥棒のマーク、それはYKKのマーク(笑)

泥棒が盗んでは、ここに戻していくと、見事、YKKのチャックの服を集めていたのには逆に感心した。

そしてある時は、人糞まみれで犬と帰ってきたのには驚いた。

そのころ農家の畑に人糞を撒いていたので、犬を散歩させ、こけたらしく💦

徘徊は酷くなり、近くの方がトラックでつれて帰ってきてくれたことも。

途中、歩けなくなりおかしいなと思ったら、大腿骨を骨折していたらしく、私も学生だったので知識もなく💦

ばぁちゃん、ごめんね。あの時は神様ありがとうと思ってしまったのよ。徘徊するのにホトホト疲れていた家族。

そんな時、ヘルパーさんが来てくれていて、うちの家にホッと明かりがさした感じだった。

(その方の影響でうちの母は、ホームヘルパーの資格を取りしばらく働いていた)

その後父が入院し、通院が大変になったので、いろんな介護施設のショートスティに行ってもらい。

父が亡くなった時も、ばぁちゃんには知らせない方がいいと葬儀に親戚は出さず。

ショートスティ先のスタッフから、ばぁちゃんが息子である父の名前を呼んで混乱していると言われた。

親戚に反対されたけど、いやっきちんとお別れをいった方がいい!!と勝手に初七日の日に連れて帰って、ばぁちゃんに父が亡くなったこと説明した。

じっと遺影をしばらくみて、

認知症であれ、きちんと受け止めたようで涙を流してウンウンと頷いている姿を今でも覚えている。

結局は、転々とショートスティや老健施設に行っていたけど、最終特養に入所させてもらった。

祖母は嫁いびりが酷く、うちの母が時々出て行ったこともあるくらいで、でも、認知症が酷くなっていくと、実の娘たちよりも嫁の母に対しての信頼をとても感じたし、母も最後はよくしたと思っている。

私は内孫で、本当に大変でくそばばぁだったけど、一番かわいがってもらった。

特養に入所して外泊させていたけど、最後は、帰る帰ると夜中に起こされて、あーっもうばぁちゃんの居場所は老人ホームになったんだと思う瞬間があり、平成10年最後は老衰で亡くなりました。

その頃はまだ、老人性痴呆と病名がつけられており、措置時代で、私も看護学生から看護師になった時なので認知症ケアがどんなものかわからず、家族としての立場での葛藤が沢山ありました。

内孫で一番そばにいたので、気性の激しいばぁちゃんには苦労はしましたが、今の高齢者に携われているのは、ばぁちゃんのおかげだと思っています。

今、天国で私のこと見守ってくれているかな(笑)

ばぁちゃん、ありがとね。

【何ともいえない寂しさ】

自分らしく力強く生きた養護老人ホームの利用者様がが亡くなられました。永眠98歳。

この一年、入院したり、膀胱がんがわかり痛みとの戦いがあったり色々ありました。

Aさんは、カリフォルニア生まれ。フィリピンのヘルパーさんとの英語の会話が楽しみでした。

メルヘンチックな絵を描かれたり、電子辞書で学んだり😊

ヨゼフに来て、牧師さんとの出会いで再びキリスト教信者になられ、洗礼をうけ、とても温和に過ごされました。

娘さんたちは、明るい三姉妹。

家族会で最期のお看取りについて話し合われる大切さをお伝えしたら、すぐ家族会議を開き、最期は自然にヨゼフでとご本人とお話しし、伝えに医務室に来てくださいました。

一時期から血尿が出て、膀胱がんと判明。

入院中、病院に会いに行くと、死んでもヨゼフでお別れ会をしてくださいと手を握り私にしっかり言われ💦

死んで帰るのではなく、生きて帰りましょうと話したのを昨日のことのように思い出します。

娘さんたちは、入院時もパニックになっては施設にこられお話をし。

そんな中、あれだけ痛みがあったのに、症状が治り無事来園。

それからも、スッとカロナールだけで治るという奇跡。

その後も肺炎になったり治ったりしながら、日々弱っていく姿を見て、

担当者会議では昔から馴染みのケアマネージャーが、ご本人らしさを尊重した支援をしましょうと話を進め、それぞれの立場での意見、入浴は訪問入浴を入れることにし、毎回楽しみにされていました。

最近は、呼吸状態が不安定な中、

ベッドの上でコーヒーやチョコレートのみならず、時にはせんべいを食べるという💦

タンがゴロゴロいっても吸引はしませんと一点張り。

酸素も下がってきていたので、時に酸素マスクをしたり外したり。

どうしましょうか?とスタッフ。

ご本人の好きなように支援しましょう。医師もそれがいいと。

ご家族にも話しすると、もし煎餅で窒息してもなくなっても仕方ありませんとの返事。

亡くなる数日前は、ヤシの実のおやつが食べたいと娘さんに言ったそうで、さすが娘さん「ココナツサブレ」じゃなかろうかと買って差し入れ、当たり❣️

死ぬ間際まで、起きたい時は起き、他のご利用者とお食事。

ヘルパーが来ているルポックの服をみて、それいいねと買いたいとピンクの服をお気に入りでした。

何度も何度も生還、ドラマがありました。

昨日娘さんの一人が遠くにいるので帰ってこられ、三人娘がそろい、「お父さん静かに眠って朝亡くなってたというのが理想よね」と本人もウンとうなずき、話して帰った後、本当に早朝になくなりました。

亡くなったら皆んなでお別れ会をしてほしいと頼まれていましたので、沢山の利用者様とご家族とスタッフでお見送りをしました。

葬儀場ではなく、施設でのお見送り。

ご利用者がお御堂がいっぱいになるほど、沢山あつまり、一人一人思い出を語り声をかける姿を見て感動😢

この場所はひとつの社会。

お互い様がある。

先に行っててね、私もいくからね。

いつもありがとう。

そんな言葉が行き交ってました。

新人の19歳の支援員が泣きながらお別れをいい😢

数日前、私が訪室していると来て、手を握り、もう命は短いんですか?と小声で問われ、私がうなずくと、手を握り涙を浮かべしばらく離れずにいた姿が目に焼き付いています。

彼女はとても優しく、素直なスタッフです。

私も全部が終わり医務室に戻り、

看護師たちとボォーっとしてしまい。

【なんとも言えない寂しさ】を感じました。

介護や医療に携わると、

Aさん自身との別れだけでなく、そのご家族との別れも辛いものです。

その人らしさを支える大切なお仕事。そんなところに居れることは、とても幸せだなぁと思いますが、寂しさでどうしようもなくなる時があります。

ご冥福をお祈りいたします。

あの世で、見守っていてね😊

【インスハートコンサート再び、そして落水洋介の現実】

インスハートは、本当に日々医師として現場で頑張っておられます。

医療現場は本当にきれいごとで終わらない。患者さんと向かい合っても、治せない救えない現実に心打ち砕かれることがある。

私も看護師だから、

救えない命があったり、病気や障害と共存して過ごすことの大変さと対面した時に、私たちに何ができるのか?葛藤しています。

だからこそ、

歌で心を癒し寄り添いたいという熱い思いの彼らに、わたしも心動かされ、応援したいとまた主催を決めました。

そして、難病の友人である落水洋介くん。

前向きは技術という彼の言葉の裏には、看護師だからこそ見える彼の変化や葛藤があります。

マイナスなことを思っても仕方がない。だから笑顔で前向きに、本当に共感する言葉です。

でも、目をつぶっていて前向きばかり考えようとしても身体は正直なんです。

彼の変化を感じています。

しゃべりは遅くなるし、食べる時に口からこぼれたり、手の指の動き、車へ移乗する時の感覚、身体の向きが上手く変えれずきっと眠れてないのはわかるし、毎日ヘトヘトなのに、笑っている。

マイナスに思っても仕方ないと必死。必死に本当は生きている。

正直、インスハートの落水くんの歌【わたしへのさよなら】を始めて聞いた時、流石だなやっぱり医師だなと思いました。

彼ははじめは、歌の内容を聞き、自分とは違うと私にいいました。

なぜかって、インスハートの歌はいつも笑っている彼のイメージとはかけ離れたものだったからです。

本当の心の奥底はインスハートの歌のとおり葛藤する部分がある。

それを考えるのが苦しいから、考えても仕方ないと前を向いて生きてきたから、違うように聞こえたのでしょう。

その後に、この歌に蓋をして忘れていた自分の感情に触れた彼がいたと思います。

私にとっても、きれいごとばかりでない、彼のそして家族の心の葛藤を感じ、目を背けてはいけないと思わせてくれました。

笑っているけど、

落水洋介は必死に生きているんです。

側で一番何だかんだ口うるさくって、あーやこーや言ってしまって反省するけど、わたしも苦しい時がある。看護師と友人という視点で揺れ動く。

そして、ご家族。

とても温かいお父さんとお母さん、奥さんと子どもさん、ご兄弟。

同じく彼を思い苦しみ葛藤もありながら、彼を愛し付かず離れず寄り添っている姿をみて、素晴らしい家族の形だなといつも感動させられます。

それぞれ、苦しい時もあるだろう。

でも、同じく前向きに笑って共に、この落水くんと家族、そして仲間と一緒に支え、支え合って生きていけば、困難なこともともに乗り越えていけると信じている。

皆さんも日々がんばっておられることと思います。

もっと沢山の辛い現実と戦っている人の励みになり、仲間となり、共生できるそんな地域、社会になればと信じてます。

1月6日のコンサートの時は、本当に沢山の子どもさんから大人、高齢者、障害者の方も来てくださり、これが共生社会の縮図だと思わせてくださいました。

皆さんと共に生きる。

今回は、ColorhythmRisaちゃんにも登場していただきます!!

12月28日も、きっとそんな温かい場所になるように仲間とともに、頑張っていきますので、よろしくお願いいたします🤲

ぜひ、足をお運びください★

チケット購入

http://ptix.at/NphwWy

落水洋介応援隊 代表 真鍋 哲子

【最後の自己選択とは?】

人は生きていく過程で、環境に左右されて生きてきている。

人は皆いつか死ぬ。

死ぬって言葉は考えたくもないしタブーとされている世の中。

でも、こんなはずじゃなかったと大切な方を見送った後に後悔してしまう。

そう後悔する人生で最後を締めくくってもらいたくはないし、残されるものの気持ち大切にしたい。

私自身、医療介護現場で働いてきて、ずっと自分の中での葛藤もあった。

命の問題になった時、本当は、今ある環境下でも5つある選択肢があるとしても、2つのやり方しか利用者に提示されなかったりする場合がある。

何が自己決定、自己選択なんだろう?

ある血尿で苦しんでいる利用者がいた。泌尿器クリニックに通院し、尿路感染と抗生剤が出された。また、コアグラ(血の塊)が出るのに、バルンチューブ(尿の管)を入れ施設に帰ってくる。

私たち看護師は管の中で血塊が詰まるんではないかと恐れていたら、土曜日の夕方案の定つまり腹痛を訴えた。バルンを救急処置として抜去。

結局、何度通院しても、血尿は止まらず、大きな他の病院で検査したらどうかと思うも、クリニックの医師が自分のプライドがあり、解決できないのに囲い込みをする。

自分を守るプライドなんかいらない。医師として患者を守るプライドが欲しいと思った。

しつこく これは何か膀胱内にあるかもしれないのでと、何度も丁寧に医師に上申。

医師と話をし、そんな中ご家族も、ご本人が入院するのが嫌であり、検査も苦痛であるだろうから大きな病院にはかからなくていいと言われる。

しっかり物事知ってから決めるのも遅くないと思い、

施設長相談員に入ってもらい、看護師としていろんな選択肢を説明。

検査に行ったらどうなのか?原因を知るということは?手立てができるかもしれないし、出来ないかもしれない。検査の内容について考えられること。やるということに意味があるのか?

逆に血尿で痛みを伴っているのに検査をしないなら今後どうなのか。施設で過ごすとは?病院で過ごすとは?緩和ケアについて。

本人の今の言動と思い、家族の思い、これからどうありたいのか?を話し合い医師に相談。

医師だけの責任ではなく、私たちも生活の中で支えている看護師だからこそ、医師に生活面や医療面、精神的なことをしっかり伝え相談する役割がある。自分たちからいうのがいい場合と、伝えられる場合はご本人、家族からきちんと伝えてもらうほうが一番なので、一緒にチームで整理する。

結局、大学病院に受診。

検査をして膀胱がんが発覚。

覚悟は決まった。治療の方向性も。

ご家族も知らないで、いろいろ決めつけていて検査してよかったですと言われ涙。

その後、嘱託医の病院に一旦入院。血尿に対する治療と痛みのコントロールと。そんな中本人はぜったい施設に帰りたいと頑張った。

そして今、

あれだけ痛みがあり苦しんでいた方が、施設に帰ってきたら、カロナール服用のみで痛みが和らげて生活をしている。

自分のペースで思い通りに生きるということが痛みを和らげる。

しかし今度は肺炎併発💦

好きなおやつを食べていたり思いのままであったが、その後また途中肺炎になって危機に。

あちゃーと思った。

先生が入院治療をすすめるのがわかっており、本人に意向確認をする。

私に、「もう歳だから。ここで死にたい。覚悟しています」とご本人。

自分の言葉で先生に言えますか?はいと。

往診時にはっきり「ここがいいです」と必死に話される。

先生も本人の言葉なので、わかりましたと。

施設で抗生剤の治療開始。

寝てばかりいると感覚が病院と一緒になり、場所がわからなくなるので、食事時は短時間起こそうとナース判断する。

結局肺炎は良くなり、無気肺をおこしているのかspo2が下がるので酸素をして生活をしている。

ケアマネとヘルパーと施設スタッフ、相談員、施設長、看護師含め会議をする。

その人らしさを支えるためにどうしたら良いのか?

ひとつひとつ何か生きていく時にはトラブルがあり、その都度選択しないといけないことが沢山ある。

その導き方ひとつで、その方の最期が決まる。

私たち医療介護従事者は、その重みを感じじっくり向き合い、話し合う必要がある。

命にまつわることは急にきたりする。家族も何を言ってるの?と混乱し理解できない場合もある。

そんな時に心強く支えられる看護師の存在でこれからもありたい。