「本質が問われる時代へ」

もういい加減気がつかないといけない。

目をつぶっていても、時代は著しく変化している。

私たちは、今まで生きてきた時代や生い立ち【環境】で、作られ生きている。

資本主義、

競争社会、みんなと同じ行動をしないと外されてしまう。

学校では、ティーチングで一方的に教えられた。

他の人と合わせることを学び、個性が出ると変わりものと周りからレッテルをはられる。

大量生産、大量消費。

いかに効率よく動き稼ぐかというルールを前提に生きてきた世代。

本当の自分の個性と向かいあうことを伏せてきた私たちだから、社会に出たら、右にならえで生きていくことが楽で。

でも、実際何かあったら対応できない。

ある時、ふと気がつく。

「私何やってんの」って。

私は10代に尾崎豊の歌と出会った時、それがスタートだった感じがする😁

何のために生き、何がしたいのか?

何で人間関係がうまくいかない?

自分のプライドを守るのに必死で、崩されそうになると否定し攻撃する人がいる。私が悪くないんだ!!

この人が悪い、この職場が悪いなんて。よくあること。

環境に汚染されている私たち。

心がすさんできて、どうしていいのかわからなくなる。

介護の世界でもそう。

ルーチン業務で時間に追われ、それぞれの価値観で行われる仕事。

雲を掴むような仕事をしている。

医療も同じ、何で専門職なのにこんなことも知らなかったんだろうと、

福祉の看護師になって、本質を知った私。

今からの時代は、ITやAIの情報時代に。

私たちが擦り込まれたルーチン作業的なものは、ITやAIでどうにかなり、心ある本質的なものが価値あるものになる時代に変わっていく。

病院も、患者さんの検査データーも自動入力で、ピピっと診断名が出てきたりなんかして、

薬剤師も薬の分包や処方も機械がする。

でっ、そこで大切なのは人として、心ある人がとても必要とされ、価値あるものとされていく。

医師も薬剤師も、栄養士も、そう私たち看護師も、病院から外へ出て、臨機応変に動ける人に光があたっていく。

困っている人のその場所へいく。

それが本来の姿✨

※映画ピアより~ 感動しますよ✨

今まで、その感覚おかしくない?とか、個性的で外されてきた人が活躍する時代へなるんだろうな😊

今、生き辛さを感じている人へ、

認めて欲しい、愛されたい。

そういう気持ち出してもいいと思う。吐き出した時に、周りを見たらきっと支えてくれている人の愛に気がつく。

自分を大切に、今までの環境に汚染されてただけなんだから。

可能性がない人なんていない。

これからは、自分の本質と向かい合い自分らしく一歩が出るように。

明るい未来のためには、心が喜ぶことをしたいですね。

私もまだまだ、修行中です★

一生修行かもね(笑)

【難病や病気の奥さんだって、楽しんで生きるんだ!!】

北九州の八幡西区折尾という町に37歳コンビ難病の落水洋介くんと、小脳梗塞の大場崇生くんが住んでいます。

折尾のドルフィンというところにその彼らと集っているコミュニティがありました。

月に1~2回ただ、食べ物や飲み物を持ち寄って集まりしゃべる場所。

【難病の落水とはまだの部屋】

落水くんがいたから、はじめ集まった人が多いのですが、そこから繋がる関係が妙に楽しくって、時に奥さまたちも参加されるようになりました★

濱田くんの協力がないと出来なかった😊

ある日のこと、

そのドルフィンというコミュニティの場所が10月になくなるとのことで、どうしよう!!という話になりました。

落水くんは仲間がどこか折尾に集える場所ができないか?

そして、奥さんの文子さんにも何か出来ることがないんだろうか?と考えはじめました。

一方、大場崇生くん。

小脳梗塞で倒れ、病院のベッドでみた同級生の落水くんのブログ。

とても励まされ、洋介のおかげでがんばろーという気持ちが出てきて、

私が出会った時も、病院での対応についての葛藤や症状についての不安。妻や子を抱えてどうしようかと悩み中でした。

しかし、病院をかわり転機になり、身体も回復してきだした時、仕事はどうしたらよいかという壁に打ち当たり。

現在も小脳梗塞で時にふらつきがあり、リハビリに通っているものの障害者ではあるが、障害者までは認定されず、宙ぶらりん。

彼は、前向きな人間ではありますが、とても悔しい思いしてきて。

でも、それをそばで支えている紗代さんも大変。

二人の奥様について、

それぞれは、彼らを通じて知り合いお会いし、いつも子供さん大切に、笑顔が素敵で、私も大好きになりました。

私はすごいなーと思います。

彼女らをみると、世の中同じような思いで旦那さんを支えている人も沢山いるんだろうなーと感じました。

子供もいながら、生活も心配で。その立場にならないとわからないことも沢山あると思います。

おりおのコミュニティで

人の温かさやに出会った彼女たちの中に芽生えたのが、

私たちも何か出来ないのであろうか?ということでした。

崇生くん夫婦と落水くん😊↓

正直、喫茶をはじめようとなった時も不安一杯で、何をどうしたらよいかわからない状態。

でも話し合い、ただ、温かいホッとする場所が作れたらいいねとの言葉。

それを聞き、私はその気持ちだけでいいなと思ったんです。

お互い様でできる場所づくり💕

旦那さまは、障害を持っていても、前向きに進む素敵な発想がある人たち。

そんな夫婦をみていると、絶対ステキな場所ができると確信したのです。

それには、周りの仲間が支え、

話しているうちに、これもあれもとイメージが広がり、ワクワク感が伝えわってきて、

パン屋さん、コーヒー屋さん、自分のお店を持たれているオーナー等、応援者も広がり★

落水洋介くんの奥さまはモデルさんみたい😊↓

11月17日はプレオープン、そして、12月からは平日の昼間、皆さんが立ち寄れる場所を作ることになりました😊

https://cafe0908.amebaownd.com/

Facebookで発信しています。

https://facebook.com/events/2759940194056881/?ti=icl

ぜひ、皆さん応援してほしいです📣顔を出していただければも思います!!

つづきの物語はまたの機会に😊

【言葉の意味や伝え方 パート①】

私は、17年前、介護施設に勤めはじめた時、医療の言葉をわかりやすく説明することがよく出来ませんでした。

施設では医師がいない分、医師とコンタクトをとって、ご家族に説明をしないといけない。

また、介護職員には今まで使っていた言葉が通じず、看護師だから偉そうに上から話すと言われ。

くだいても、くだいても砕ききれず(笑)相手がわかってくれないと人のせいにしていた生意気な私も時々いました。

でも現実

わかっているつもりでわかってなかったのは私💦

全部物事を知ってるかと言えば知らなかったし、言葉の使い方以前に、意味が詳しくわからないと説明できない。

そして、相手や環境を知って伝えることの大切さも学んできました。

その都度調べ、学ぶ。

仕事をしていて【知ること】は当然のこと。

そして、その言葉を大切に相手に理解していただくことで、安心感を感じてもらえたり、信頼関係もそこで得ていくんだと感じました。

知ることは自信にも繋がります😊

しかし!!

そんなふうに偉そうに言ってもですよ、わかってなかった自分に一年前ちのよしかずさんに出会いまた、気づいてしまったのです。

愚かな私。

介護現場での単語(言葉)の意味をしっかり理解しているかどうか?

久々頭をガツンと殴った方の登場!!

※渡辺哲弘さんが、一番初めに私の頭を殴りました(笑)

介護職の方も、

単語ひとつひとつをわかって使っているかといえば、出来ていない。

見よう見まねで業務を行っている現実。また、間違った呼び方もしている。

健側(けんそく)をけんがわと呼んでいたり、

入れ歯のことを、義歯(ぎし)というのですが、ぎばと読んだ方もいた。

また、急にADLは何?説明しなさいと言われて答えられますか?

日常生活動作

食事・更衣・移動・排泄・整容・入浴など生活を営む上で不可欠な基本的行動を指す。

では、整容ってどんなこと?

移動ってどんなことを示すの?くだけは砕くほど奥深い!!

そして、なにより、

介護する側、

人それぞれの捉え方をされて、

介護を受ける側って、

どれだけのことよ?って思いません?

そこで、

一緒に学んだ松本翔太くんは、ちのさんの勉強から衝撃をうけ、

まず言葉を知ることからはじめたいと思い勉強会をはじめました。

わかりやすい言葉を使う。

単語ひとつに対し、読み方、意味、伝え方を学び、集まった方の事例もプラスにされていくとドンドン楽しくなっていきます😊

また、いろんな事業所間や業種間で学びも出たり、繋がりもできたりと楽しくなります。

何よりも楽しく会話できることが、仕事終わりに参加しても、次の日にまた頑張ろーってなるものです。

みなさんも是非参加されませんか?

北九州市内の事業所を巡りながら、二週間に一回集まっています(今のところは、第二、第四火曜日19時)

病みつきになりますよ😊

追伸

まだ、周りの方で認知症のことを認知と呼ぶことが多い現実に頭悩ませます。認知がすごいというと?

さて、どういう意味でしょう?

【言葉の意味や伝え方 パート①】

私は、17年前、介護施設に勤めはじめた時、医療の言葉をわかりやすく説明することがよく出来ませんでした。

施設では医師がいない分、医師とコンタクトをとって、ご家族に説明をしないといけない。

また、介護職員には今まで使っていた言葉が通じず、看護師だから偉そうに上から話すと言われ。

くだいても、くだいても砕ききれず(笑)相手がわかってくれないと人のせいにしていた生意気な私も時々いました。

でも現実

わかっているつもりでわかってなかったのは私💦

全部物事を知ってるかと言えば知らなかったし、言葉の使い方以前に、意味が詳しくわからないと説明できない。

そして、相手や環境を知って伝えることの大切さも学んできました。

その都度調べ、学ぶ。

仕事をしていて【知ること】は当然のこと。

そして、その言葉を大切に相手に理解していただくことで、安心感を感じてもらえたり、信頼関係もそこで得ていくんだと感じました。

知ることは自信にも繋がります😊

しかし!!

そんなふうに偉そうに言ってもですよ、わかってなかった自分に一年前ちのよしかずさんに出会いまた、気づいてしまったのです。

愚かな私。

介護現場での単語(言葉)の意味をしっかり理解しているかどうか?

久々頭をガツンと殴った方の登場!!

※渡辺哲弘さんが、一番初めに私の頭を殴りました(笑)

介護職の方も、

単語ひとつひとつをわかって使っているかといえば、出来ていない。

見よう見まねで業務を行っている現実。また、間違った呼び方もしている。

健側(けんそく)をけんがわと呼んでいたり、

入れ歯のことを、義歯(ぎし)というのですが、ぎばと読んだ方もいた。

また、急にADLは何?説明しなさいと言われて答えられますか?

日常生活動作

食事・更衣・移動・排泄・整容・入浴など生活を営む上で不可欠な基本的行動を指す。

では、整容ってどんなこと?

移動ってどんなことを示すの?くだけは砕くほど奥深い!!

そして、なにより、

介護する側、

人それぞれの捉え方をされて、

介護を受ける側って、

どれだけのことよ?って思いません?

そこで、

一緒に学んだ松本翔太くんは、ちのさんの勉強から衝撃をうけ、

まず言葉を知ることからはじめたいと思い勉強会をはじめました。

わかりやすい言葉を使う。

単語ひとつに対し、読み方、意味、伝え方を学び、集まった方の事例もプラスにされていくとドンドン楽しくなっていきます😊

また、いろんな事業所間や業種間で学びも出たり、繋がりもできたりと楽しくなります。

何よりも楽しく会話できることが、仕事終わりに参加しても、次の日にまた頑張ろーってなるものです。

みなさんも是非参加されませんか?

北九州市内の事業所を巡りながら、二週間に一回集まっています(今のところは、第二、第四火曜日19時)

病みつきになりますよ😊

追伸

まだ、周りの方で認知症のことを認知と呼ぶことが多い現実に頭悩ませます。認知がすごいというと?

さて、どういう意味でしょう?

【私の認知症のばぁちゃん】

私のばぁちゃんは、特別養護老人ホームで最後は過ごした。措置時代、平成10年92歳でなくなった。

私自身は、2歳の頃から若松の有毛という場所で、祖父、祖母、父、母、兄と過ごして育った。

祖父じぃちゃんは、私が小学校二年生の時肺がんの骨転移で亡くなった。

背中にコブができて痛がってると、嫁である母が病院に付き添い、発見した時には末期だった。

九州厚生年金病院に入院し、じぃちゃんは苦しそうに亡くなったのを覚えている。

とても優しいじぃちゃんで大好きで、苦しんでいる姿を見て、神様はひどいと言っていたのを覚えている。

ばぁちゃんは気性の激しい人だった。

ジュリー(沢田研二)とプロレスのテレビを観るのが好きで、アメをやるから一緒にテレビを見ようとよく誘われて、テレビの下の扉から氷砂糖を取り出しては、私の口に入れてくれていた。

私が学生の時、ばぁちゃんは、大腸検査をした時に体調を崩し食事が食べれなくなった。

病院から電話があり、命が危ないのかと思ったら、混乱状態で点滴を抜くので大変だということだった。

認知症状の悪化💦

どうにか食べられるようにはなったが、認知症の祖母との生活がこんなに大変なものになるとは思ってはなかった。

自宅に帰ってきたら、

私をどこかにやったらいけないと監禁されそうになるわ。

財布が無くなったからと、何度も夜叩き起こされるわ。

私は、いいことを考えたと思い、同じ財布を👛買って、ばぁちゃんここにあるよと渡していた。

(ある時、手に二つ同じ財布を持っていて混乱していた💦)

満洲に昔いたことがあり、「クーニャン」とよばれたと思えば(娘のことらしい)、泥棒が服を変な風にしてタンスに戻してくると、自分で破ったりしてぐちゃぐちゃにして、いれていて。

泥棒のマークがあるとまた、呼び出される、勘弁してくれーと思い行く。

泥棒のマーク、それはYKKのマーク(笑)

泥棒が盗んでは、ここに戻していくと、見事、YKKのチャックの服を集めていたのには逆に感心した。

そしてある時は、人糞まみれで犬と帰ってきたのには驚いた。

そのころ農家の畑に人糞を撒いていたので、犬を散歩させ、こけたらしく💦

徘徊は酷くなり、近くの方がトラックでつれて帰ってきてくれたことも。

途中、歩けなくなりおかしいなと思ったら、大腿骨を骨折していたらしく、私も学生だったので知識もなく💦

ばぁちゃん、ごめんね。あの時は神様ありがとうと思ってしまったのよ。徘徊するのにホトホト疲れていた家族。

そんな時、ヘルパーさんが来てくれていて、うちの家にホッと明かりがさした感じだった。

(その方の影響でうちの母は、ホームヘルパーの資格を取りしばらく働いていた)

その後父が入院し、通院が大変になったので、いろんな介護施設のショートスティに行ってもらい。

父が亡くなった時も、ばぁちゃんには知らせない方がいいと葬儀に親戚は出さず。

ショートスティ先のスタッフから、ばぁちゃんが息子である父の名前を呼んで混乱していると言われた。

親戚に反対されたけど、いやっきちんとお別れをいった方がいい!!と勝手に初七日の日に連れて帰って、ばぁちゃんに父が亡くなったこと説明した。

じっと遺影をしばらくみて、

認知症であれ、きちんと受け止めたようで涙を流してウンウンと頷いている姿を今でも覚えている。

結局は、転々とショートスティや老健施設に行っていたけど、最終特養に入所させてもらった。

祖母は嫁いびりが酷く、うちの母が時々出て行ったこともあるくらいで、でも、認知症が酷くなっていくと、実の娘たちよりも嫁の母に対しての信頼をとても感じたし、母も最後はよくしたと思っている。

私は内孫で、本当に大変でくそばばぁだったけど、一番かわいがってもらった。

特養に入所して外泊させていたけど、最後は、帰る帰ると夜中に起こされて、あーっもうばぁちゃんの居場所は老人ホームになったんだと思う瞬間があり、平成10年最後は老衰で亡くなりました。

その頃はまだ、老人性痴呆と病名がつけられており、措置時代で、私も看護学生から看護師になった時なので認知症ケアがどんなものかわからず、家族としての立場での葛藤が沢山ありました。

内孫で一番そばにいたので、気性の激しいばぁちゃんには苦労はしましたが、今の高齢者に携われているのは、ばぁちゃんのおかげだと思っています。

今、天国で私のこと見守ってくれているかな(笑)

ばぁちゃん、ありがとね。

【何ともいえない寂しさ】

自分らしく力強く生きた養護老人ホームの利用者様がが亡くなられました。永眠98歳。

この一年、入院したり、膀胱がんがわかり痛みとの戦いがあったり色々ありました。

Aさんは、カリフォルニア生まれ。フィリピンのヘルパーさんとの英語の会話が楽しみでした。

メルヘンチックな絵を描かれたり、電子辞書で学んだり😊

ヨゼフに来て、牧師さんとの出会いで再びキリスト教信者になられ、洗礼をうけ、とても温和に過ごされました。

娘さんたちは、明るい三姉妹。

家族会で最期のお看取りについて話し合われる大切さをお伝えしたら、すぐ家族会議を開き、最期は自然にヨゼフでとご本人とお話しし、伝えに医務室に来てくださいました。

一時期から血尿が出て、膀胱がんと判明。

入院中、病院に会いに行くと、死んでもヨゼフでお別れ会をしてくださいと手を握り私にしっかり言われ💦

死んで帰るのではなく、生きて帰りましょうと話したのを昨日のことのように思い出します。

娘さんたちは、入院時もパニックになっては施設にこられお話をし。

そんな中、あれだけ痛みがあったのに、症状が治り無事来園。

それからも、スッとカロナールだけで治るという奇跡。

その後も肺炎になったり治ったりしながら、日々弱っていく姿を見て、

担当者会議では昔から馴染みのケアマネージャーが、ご本人らしさを尊重した支援をしましょうと話を進め、それぞれの立場での意見、入浴は訪問入浴を入れることにし、毎回楽しみにされていました。

最近は、呼吸状態が不安定な中、

ベッドの上でコーヒーやチョコレートのみならず、時にはせんべいを食べるという💦

タンがゴロゴロいっても吸引はしませんと一点張り。

酸素も下がってきていたので、時に酸素マスクをしたり外したり。

どうしましょうか?とスタッフ。

ご本人の好きなように支援しましょう。医師もそれがいいと。

ご家族にも話しすると、もし煎餅で窒息してもなくなっても仕方ありませんとの返事。

亡くなる数日前は、ヤシの実のおやつが食べたいと娘さんに言ったそうで、さすが娘さん「ココナツサブレ」じゃなかろうかと買って差し入れ、当たり❣️

死ぬ間際まで、起きたい時は起き、他のご利用者とお食事。

ヘルパーが来ているルポックの服をみて、それいいねと買いたいとピンクの服をお気に入りでした。

何度も何度も生還、ドラマがありました。

昨日娘さんの一人が遠くにいるので帰ってこられ、三人娘がそろい、「お父さん静かに眠って朝亡くなってたというのが理想よね」と本人もウンとうなずき、話して帰った後、本当に早朝になくなりました。

亡くなったら皆んなでお別れ会をしてほしいと頼まれていましたので、沢山の利用者様とご家族とスタッフでお見送りをしました。

葬儀場ではなく、施設でのお見送り。

ご利用者がお御堂がいっぱいになるほど、沢山あつまり、一人一人思い出を語り声をかける姿を見て感動😢

この場所はひとつの社会。

お互い様がある。

先に行っててね、私もいくからね。

いつもありがとう。

そんな言葉が行き交ってました。

新人の19歳の支援員が泣きながらお別れをいい😢

数日前、私が訪室していると来て、手を握り、もう命は短いんですか?と小声で問われ、私がうなずくと、手を握り涙を浮かべしばらく離れずにいた姿が目に焼き付いています。

彼女はとても優しく、素直なスタッフです。

私も全部が終わり医務室に戻り、

看護師たちとボォーっとしてしまい。

【なんとも言えない寂しさ】を感じました。

介護や医療に携わると、

Aさん自身との別れだけでなく、そのご家族との別れも辛いものです。

その人らしさを支える大切なお仕事。そんなところに居れることは、とても幸せだなぁと思いますが、寂しさでどうしようもなくなる時があります。

ご冥福をお祈りいたします。

あの世で、見守っていてね😊