【今の時期だからこその人生会議】

新型コロナウイルス感染症流行において、皆様においても大変な毎日を送ってらっしゃると思います。

私は、高齢者施設に勤めていますが、このような時に老衰や末期癌で人生の最終章を迎えた方が3名、またもうお一人ソロソロかなぁと思われる方がいます。

逝かれるタイミングもそうですが、残される家族の気持ちも様々。

いつもより面会時間に制限がある中でのお会いするタイミングについてなど非常に悩みます。

まず電話でお話しするときの言葉の選択、面会の設定、ビデオ通話での面会について、医師と会い説明するタイミング。

一瞬一瞬の私たち支援者の心配りをどこまでするかにかかってるなぁと思います。

施設看護師をしていて、もしもの時が近くなっている時は、医師よりも先に説明することがほとんどです。

90歳すぎても自然に加齢で訪れるお看取りでも、【延命はしたくない、だけど一日でも生きて欲しい、頭ではわかってるんです】その言葉を聞くことがとても多いです。

一番、利用者様が命を引き取るまでのタイムリミットとご家族の心の整理がつく時間のタイミング合うように支援をするのにとても神経を使います。

家族支援については、ケアマネや相談員と一緒に話し合いながら行います。

病気の説明をする時には、ご家族から昔はこういう母(父)だった。ご家族としてどういう思いで過ごしてきたか、先日はその背景にはお孫さんがいて、ばぁちゃんから可愛がってもらったとか、気が強いところはばぁちゃんからもらってると泣き笑いして語ってくれたり。

(あー私とかぶるとか思って共感したり)

そのような話を聞くことも大切にしています。語ることが癒しになるのですよね。

しかし、コロナに感染したらどうでしょう?そのような向き合う時間さえないかもしれない。

コロナで亡くなる方も、高齢で自然に命を全うされる方も、そして毎日を必死に生きている私たちも同じ命。

皆さんも一度考えてみて欲しいのです。

ご家族や知り合いがコロナに罹患し、急に症状が出て、医療機関に行き、会えずじまいで最後の命の選択を迫られる。

短期間で永遠の別れになることも。亡くなった後も葬儀も出来ずお骨になり会う。もし自分の家族なら、濃厚接触者で自分も隔離されてる可能性もあります。

その立場を考えると本当に心苦しいです。

PCR検査をするか否か、入院するか否か、人工呼吸器を装着するか否か、など様々な選択を迫られる。

そんな時、一般の方に人工呼吸器をどうするかと言われても、実感がわかないのはあたりまえです。

こんな時期なので、ご家族とも接しないように距離を置いていらっしゃる方もいるかと思いますが、今だからこそ、ご家族と価値観や人生感、自分がどういうことを大切にしているのかということを話し合う機会に。もしもの時どうするか?

いつも命に向き合ってるとそう思います。

結局は心の整理なのです。

どう関わり思い出を作っているか、行動したか?とにかく後悔してほしくない。

「もっと話しておけばよかった」という後悔や「突然起きてしまったからどうしたらいいかわからない」ということにならないように。

私も母(ばぁちゃん)と会わずに電話で話をし、その時母と一緒に暮らしている息子から電話がかかり、今感じてることや暮らしについて話をする。

話すことで何だろう、普通にこうやって話ができたり、生きていることが嬉しいなと思いました。

息子とは本当に反発し合い話さない時期が長かったので、なおさら(笑)

去年はじめた、北Q人生会議異業種プロジェクト会議。

https://www.facebook.com/groups/530456484178404/?ref=share

3月から延期になっていますが、こういうときこそ、身近な方と語り、いろんなお話聞かせていただけたらなぁと思います。

そして、また皆さんと無事だったことを喜び合える日がくればと。

こころ穏やかに、少しのことでも感謝して生きたいと思います。

【想いをカタチにする宣言】

想いをカタチに、介護をカタチに

「形のないことがこんなに不安なことなのか」コロナの状態でさらに浮き彫りになりました。

形がないことが人間関係を生活を仕事を壊していく。

そもそもの問題は、日本の資本主義の気質、教育課程自体がその土台にあると考えられます。右にならえ「こうでないといけない」という世間の決めつけの檻の中であがいて生きてきた結果だと思っています。

介護の世界もそう。
形のない中でみんな必死にした結果、あきらめに入っている方も多く、その環境にマヒしてやりがいをなくしている方も多い。疲弊している。

私は18年間高齢者介護施設の看護師として働いています。
本当にいろんなことがあったけど、私は介護の素晴らしさも沢山見てきたし楽しいし、諦めていません。

やってきて、わかった事が介護にカタチを作ること。
それを気づかしてくれたのは、沢山のご利用者だったり、スタッフです。※今も進行形です。

これからは、自分の経験を人の役に立てたいと思っています。
執筆活動、動画やオンラインを始めます。

今回、お話しし巻き込んだのは、介護アドバイザーの知野良和さん。
知野さんから、やる気のない介護職員の視点でのアプローチと、スキルマトリクス、人の本質を見極めた行動心理の学びは、私に多大な衝撃を与えました。

介護、人それぞれの教育課程でこの職に就き、入職時も単語の意味をしっかり習っておらず、現場で使っている言葉を見よう見まねでやっている。まさにその通り。
それなのに私って、わかってると思って上から目線だったと反省。すみません。

介護の非常識なことが、自分の中に常識化され、習った先輩の言う通りにコピーが生まれる。我流の介護や看護がこの介護の世界には溢れていて、形がないので統一したケアができない。
その組織の力関係で物事が進んでいる。

また、病院の対象は【病気を治す】ですが、介護の対象は【個別の生活を支える】ので、また目に見えづらい。個別…。ひとそれぞれ。

そして、根本的なことは、
「仕事や人間関係の問題は、プライベートな問題が潜んでおり、それまで生きてきた過程で親や環境など承認されない劣等感(強がり)が影響している」と知野さん。
うん、心にずっしり。

多くの人は傷つきたくないので目をつぶる。自信がないので形がない中では、何かの形にこだわり執着しないと生きていけない。自己肯定感が低い…劣等感。じつは、私もその一人でしたし、今もその部分は残ってますが(^◇^;)

変わりたいだけど、
あがくときついので、目をつぶってしまいたい。従わないと生きていけない。悪く思われたら嫌。弾かれたらどうしよう。上手くいかなかったら自分を守るために人のせい世の中のせいにしてしまう。
あー。私こんなでした。

今のコロナ騒動と本当に一緒。不安定。何信じていいのって?自分軸が皆んな脅かされてぶれてくる。

皆同じなんですよね。
でも自分が変わった方が楽。

「過去と他人は変えられないけど未来と自分は変えられる」カナダの精神科医のエリック・バーンの有名な言葉ですが、私が時々唱えていて、セミナーでも伝えている言葉です。

いがみ合うのではなく、それぞれいいところがあり、可能性を持っている。
でも、経験したことがないことはイメージできないので、自分と向き合った後は、しっかり正しい知識をつけ、カタチを作り、再スタートする。そういうことをやります。

そのためには、言葉をわかりやすく、楽しくやることが大切。
また、いろんな人をいずれ巻き込んでいきたいです。

じつは、これをするのには、わたしも修行なんです。

言葉をカタチにするのが苦手だから、だから知野良和さんに頼る。
ITわかんないから、眞鍋孝輔さんに頼る。
私の頭が爆発するから、岡久美子さんに冷静になる手伝いをしてもらう。

出来るところはする!!
出来ないところは、できる人に頼む。
こんなんでいいのかなと。
楽しく共に学び合える場を作れればと思っています★

また、周りも巻き込んで行きますよ★
また、詳しく随時お知らせします(^∇^)