【鬼の目に不覚にも涙が…】

『難病がくれた宝物-僕は今が一番幸せです-』
今日穂波まちづくり協議会で西園緑さんが主催された落水洋介講演会。
素晴らしかったです!!

zoomでの参加も始まる前の音楽からワクワクする感じで。
リアル参加や、手話の方がいたり、zoomでの参加も出来たり演出良かったです。

講演内容としてはいつもの話で最初は普通に聞いていたのですが、不覚にも途中から涙が止まらなくなりました(T_T)
ギャップが。

PLS原発性側索硬化症の身体は正直動かなくなっています。
進行していってます。

今までは、身体の動きが悪く、トイレが間に合わないこともあっても、意地でも夜トイレまで行っていました。
尿器を使いたくない。
ポータブルトイレも準備していても使いたくないからベランダに出してもらう。

「認めたくない。まだまだ行ける」
心の声を感じ黙って様子を見守るご両親。

でも、先日鬼看護師眞鍋とFacebookライブで彼は「これ今使ってま-す」と笑顔で尿器をzoom画面に出し、正直戸惑い驚きましたよ。

あー、前向きに心の折り合いをつけたんだと。一つ一つ動かないことを受け入れ手段を変え、えらいぞと。

「親の手助けを受けたくない」
あれだけ抵抗をしていた彼も、今はできないところだけ親の介護を受けてます。髪の毛を洗ったり、足を洗ってあげたり。

彼の病気は筋肉を動かすことでなおさら身体の緊張が出て固まってしまう。積極的に動かしたり、急に触ったり動かすことがかえって、身体を固めてしまう。

筋緊張で足や身体が固まった時、身体が小さいお母さんが必死に動かそう、支えようとしている。
それを申し訳ないと心苦しく思い世話になっている彼。

「でもまだ歩きたい」心の声が聞こえる。

先日もお家に行ったら、
内側に尖足になっている足で必死に廊下を歩いている。歩く時足が棒になるのでかえって危ない。

とにかくベッドに横になってもらって「おやすみー」と布団をかけた後、お母さんと別の場所で作戦会議。

玄関先で車椅子から降りる時彼は、短下肢装具を外し部屋のベッドに廊下の手すりをつたい歩いて向かう。

尖足予防のための短下肢装具だし、
装具をつけたままベッドに歩いていき、ベッドサイドで外した方が良い。翌日はいと受け入れる。

義肢工房ゆいさんで作っていただいた、装具★

いずれはできなくなったら、車椅子でベッドサイドへ行けばいい。

一つずつやり方を変えて行く。講演会で言っているように言葉でいうほど簡単じゃないし葛藤しているのは見ていて凄く感じます。
しかし、受け入れるしかない現状。

「目の前に起こっていることに意味がない。意味をつけることが出来るのは自分だけ」
今日の講演会で話す内容は今までと同じ話をしていても、一つ一つの言葉はとても考え深いものでした。

実際に身体を張って前向きに生きていっている落水洋介くん。

彼は失うこと以上に、可能性を見せてくれる。人に本当に勇気を与えられる人だと思っています。

私たちも困難なことありうることです。

悩み苦しみ抵抗し受け入れ、そして後ろ向きになるか?前向きになるか?

そして、何のために生きているか?

その姿を見せ人に問いかけ、いつもみんなの前では笑顔で存在する。

久しぶりに大きな会場でイキイキと話す落水洋介くん、
そんな彼の支えになるのは皆さん★
これからもよろしくお願いいたします!!

【施設在宅で今出来ることは何か?命を救い支える】

今、一瞬一瞬を活きる支援を私たちはするために存在している。

軽い肺炎で入院していたSさん
入院先の医師よりよくなったけど、認知症でご飯食べられないっ一週間の命って、ご家族に伝えられました。

施設看護師である私にも医師は「病院での認知症による看取りだから仕方がない」と言われ。
入院する時、元気に話していたのに諦めきれない。施設に帰ったら食べられるようになった方もいる。
医師に、「家族が望めば連れて帰って良いでしょうか?」
医師に行ったら無理だと言われた。

ご家族に電話し心境をお聞きする。
「父に会いに行ったら意識がもうろうとして、後一週間と言われても理解できる状態だった。亡くなる命なら施設に連れて帰って欲しい」強く願われ言われた。

翌日、医師に連絡相談。
「先生ご家族も私たち施設側も同じ気持ちです。食べられないでも施設に連れて帰りたいです。施設での看取りをお願いします」
あっさり退院許可が出た。

病院に相談員と一緒に迎えに行く。Aさん帰りますよと相談員が声かけると、Aさん覚醒して、「迎えにきてくれたのか?ありがとう」って泣いて

驚いた!!よくお話しするAさんに相談員と一緒に私も泣いた。

医師も驚きこれはヨゼフに帰ると元気になるか?と。

帰った後もスタッフで拍手✨
家族もえっ?昨日死にそうだったのに?と。

施設に帰り皆んなで拍手!!ご本人「ありがとう」と何度も帰れて嬉しいと。

しかーし。次の問題。
入れ歯があわず❗️
なぜか?病院に問い合わせ。
とろみ食食べてたから入れ歯していないからわからないと。

歯科医のスーパーマン戸畑あすか歯科の濱口先生に電話。
すぐ来て診ていただきフードテスト。入れ歯してもしなくても、これは危険だ。頭抱える。
入れ歯作り直すのに一ヶ月❗️
先生考え、「んー明日一日で今の義歯を加工しどうにかします」

私つい小声で「先生?歯科医は普通入れ歯を技工士ではないので作り直すことできませんよね」と問う。
「五島の離島にいた時にせざるえなくて全部してました」
納得!!すごーい!!感動!!

「わしの命は任せた」とAさんが先生に言い握手

Aさんと濱口先生の固い握手(笑)命を任せたと。

翌日、義歯を技工していただき。
無事に、Aさん自分の手でご飯食べはじめました

あのまま病院にいたら意識朦朧として、入れ歯もしないと食べられるはずもない口の状態。きっと亡くなっていた。

今までも沢山あります。
病院は疾患(病気)を治す場所です。
必要な時は入院。
しかし、その方によっては環境の変化で認知症状が出たり意欲が低下することもある(今回はせん妄ですねきっと)

病気は治ったが食事がとれない、または治療が不可能でこれ以上難しいと判断された場合、連れて帰れる状態なら連れて帰って欲しい。

うちの看護スタッフのお母様も末期癌で連れて帰り今年、在宅看取りをしました。
別の介護職のお母様も今回、末期癌でコロナ禍で会えないのは辛いと、病院の先生に連れて帰りますと言い在宅で見ています。介護休暇を上手くくれる職場もありがたい。

帰れる環境であるというのが一番幸せ。

私たち在宅、施設がそういう体制でいることは、チームでなければいけません。
今、一瞬一瞬を活きる支援を私たちはするために存在していること。
忘れてはいけない。

看護師である私が動いたから帰れたのだと皆んなからありがとうと言われるけども、ご家族や施設スタッフが同じ気持ちでAさんを施設に連れて帰りたい、そして諦めたくないと願ったからです。

また、歯科医の濱口先生に電話したら30分もかからず速攻来てくれて、
翌日数時間かけて義歯を加工し食べられる形にしてくれたこと。
先生がいなければ食べられてなかったし命もどうなってたか分からなかった。(義歯に名前を入れてくださいました)

ワンチーム✨

病院に対して批判するというよりも、私も病院につとめてたら同じことしていたかもしれません。

病院にいたら可能性を探れない、環境に限界がある。
だから、施設で在宅でここまでできますという提案がもっと出来る方が増えるといいですね。

これはきっとウチだけではなく、在宅支援ではあるある話です