最近は老衰で食べられなくなってきてる方が多く考えさせられます。
亡くなってしまった後に、ご本人やご家族の後悔しないような心の準備、手立てをしっかりしたいと思う。
逝くものだけでなく、残されるものの気持ちも大切。
いつその時が訪れるかわからない
施設入所の入り口では、
施設長や生活相談員、ケアマネから、当施設ではお看取りをしていることをお伝えし、
最期をどうお考えになるのかを
ご家族にお聞きしています。
あわせて、DNARの話も行い心肺蘇生まではしないと言われることも多いのですが、その時でないとと入所の時は決まらないこともある。
デリケートな事なので仕方がありません。
そして、入所して
ご家族にその都度しっかり話をして、考えていただく支援をするのも看護師の大切な役割と思っています。
年一回の家族交流会では、必ず看護師として、最期を迎える時の事をお話しします。
高齢者に携わると、何度となくこの話をいろんなご家族にお話しすることになります。
高齢で、食事が食べられなくなってくる。飲み込みが危険になっていること。そのためにしている手立て。
老衰になっていっての身体の状態。食べられなくなってきている現状。
食事の形態、量、提供の仕方。好まれて食べられるもの。また歯科医に専門的に飲み込みを評価していただいての食事支援。
このまま自然にヨゼフで最後を全うするか?
鼻からチューブで栄養を入れるか?
胃に穴を開けて栄養を入れるか?
点滴をするか?
医療的手立てについては、それぞれに対してのリスクも施設で出来ること、出来ないことも含めしっかり踏まえて話をする。
よく言われるのが、
【点滴を…】
それが積極的な事を意味するのか?最期何もしないのは忍びないので、少しだけでもという意味を持つのか?
施設では、
心をそろえるための点滴一本。
栄養は十分とれない、ポカリスエットのようなものを点滴していくこと。
限界があるので、その中でのご家族の関わりの方が大切なこと。
点滴は、ご本人にとって針を差すことの苦痛があるか?血管が細く入らなくなるとそれまでとの話も。
積極的にという場合、病院での支援方法はしっかり医師から伝えていただく。
ご家族より、最期の場所はヨゼフがいい。でも、何もしないのもと言われることも多いです。

何もしないわけではないことを丁寧に説明。ケア重視ですね。
普通に起きれる時は起きて、
お風呂に入れる時はお風呂に。
お口もきれいに、
栄養状態は保持できないが、
食事も食べられる量を食べられるだけ、お好きなものを安全に。
会話も楽しみ、
その人らしさの追求。
ご家族が来られる時は状態をお伝えして、したいことの実現。
キーパーソンだけではないので、その都度親戚家族にもお話を。
そして、昔話を聞きながら、時には場所を変え椅子に座りしっかり聞く。
歴史を感じる。

看護師だけでなく、チームで。最期は医療は必要なくなる。
生活相談員やケアマネージャーとの連携が大切★介護スタッフもそれぞれの役割で一緒に。
100歳超えている方で、もうすぐまた、命が消えようとしている方がいます。
お嫁さんの命を見送る葛藤すごく伝わってきます。
お孫さんは、ばぁちゃんっ子だったと。「私が小さい頃よくお腹壊していたので、ばぁちゃんから、正露丸をオブラートに包み、飲みなさい効くからと口に無理やり入れられてたんですよー。」泣き笑いされながら話してくださいました。
そんな話をゆっくりお聞きするのも大切な役割だなと感じています。
逝った後に後悔しないように生きているうちにしっかり癒していく。
このような時間が取れる場合は、
幸せなこと。逝くご利用者もそれを見計らったように旅立たれることも多いんですよね。
すごいなーといつも思います。
さて、今日も医師からの家族説明があり、ご家族の気持ちを上手く伝えられるよう頑張ります。
真鍋さんファンで毎回コメント失礼します。私も看護師で在職中は300名の方々を病院で看取りました。病気、事故、加齢と様々。新人の頃の虚脱感。段々慣れていく怖さ。そして理想の最期。真鍋さんのブログで自分の身内や自分の最期にも思いを寄せています。これからもブログを読みます。
福田さん★ありがとうございます。自分の身内や自分のことになれば、また感情が変わってきそうですね^^;
人それぞれの支援。大切にしていきたいです★