【延命の時代】

昔は、日本人は畳の上で亡くなっていました。その後、なぜ病院が亡くなる場所になったのか?

1970年、老人医療費無料化になり、病院に行く人入院する人が多くなり、そのうち高度医療が発達してきて長生きをするようになりました。

患者さんが病院に長くいることで、社会的入院と問題になり、医療費が圧迫してきたため、医療費も一時負担へ。

病院から在宅へ戻そうと、国は老人保健施設を設け、リハビリをして在宅へ帰そうという動きへなっていった。

私が看護師になった1990年代は、是が非でも延命時代。24時間点滴や、経管栄養。

何かあれば救う。

ある担当した患者さんから言われました。苦しんで亡くなる時救わないでほしいと。

そんな時、延命治療をして意識が戻った患者さんから

「何回も死ねずに苦しまなきゃいけないのか?」それが病院なのか?

すごく心が痛くなり、このことは一生忘れない出来事になっています。

点滴や経管栄養するために、管を抜かないようにゴメンなさいと手を縛る。また、目まぐるしい仕事の中で身体の向きは2時間毎に変える。その内褥瘡は出来るし、当時はMRSAが院内感染で問題になった時代。

何をしているのか?

私は人間でなかった。

こんなのが医療のあり方なのか。

父の死に向かい合った時も、看護師と娘の立場を行き来し、苦しみ、死ってなんなんだろうと常に考えるようになりました。

私が夜勤との時に亡くなる方が多く、

なぜって疲弊していた時、

看護師の先輩から言われました。

看護師や医師は人を救うだけでない。命の最後にも必ずいるんだから、そんな残念な貴女の顔を見ながら死んでいく患者さんはかわいそうと。

本当にそうだ。

その頃から、その方の最後にいる看護師として、最後生きていていてよかったと思えるような支援がしたいと強く思うようになりました。

それが今、命を見届けることを大切とする私の原点になっています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です