正直死ぬのは、当たり前。
普通のこと。
昔は、畳の上で死んでいくのは当たり前の世の中で、家族やそして近所の人や、死ぬってことに触れることが日常にあった。
今は、触れることが少なくなり、看取りとか終末期とかなんだろ、そんな言葉が重いものとして捉えられるようになってきて、
だから、どうにかしなくっちゃと心ある関係者と頑張って啓発活動をしている。
私は、施設で看護師として働かせていただき、自分の子供に老いとか、死ぬということを学ばせていただけて、感謝している。
現在25歳の息子 雄太と23歳の娘 美優。
小学校の頃、
私が勤めていた高齢者施設によく連れて行っていた。
私は母子家庭だし、施設に夜呼び出させると子供を家に置いて出て行かないといけないから、どんな場所でどんな気持ちで働いているか理解を得るためでもあった。
「お母さんはね、お年寄りが大好きでそして、いずれ自分がそこで最後楽しく過ごせるような場所になればいいなと働いてるんよ」と子供に言っていた。
のちにその言葉を信じてる雄太にとって、悪気があるわけではないらしいけど、
「施設にお母さんはいずれ暮らしたいんよね、会いにいくね」とか言われたり、「お母さん看護師さんの仕事好きでしてるのに、何できつそうにしとるん?」に変わっていくんだけど😅
小学校のころから息子雄太は、
何でも、なんで?ってしつこく聞く子供で、
利用者様に会って、
「何で髪の毛白いん?」
「何で、昼あった時に歯があったのに、夜急になくなったん?虫歯が一気にひどくなってなくなったん?(義歯)僕、歯を今日からしっかり磨く!!」とか、
「何で椅子に座って動くん(車椅子)」
「何でここ臭いん(施設の排泄のにおいなど)?」
下を向いている利用者様を下から覗き込み、「なぜ下向いとるん?」
そして、ある利用者様に出会い、「雄太このばぁちゃんにいつも会いにいく!!美優(妹)も行こう!!」と言い、何度か会いに連れて行っていた。
ある日、その利用者様が看取り期に入り、元気がなくなっている姿を見て、何で寝てばかりおるん?と仕切りに聞かれたことがあった。
そして、
母の日に私が母に花を買いに行った時、ついてきた我が子二人が、小遣いを出してその利用者様のために花を買いたいと言い出した。(ほとんど雄太が、下のみゆに無理やり付き合わせた感があったけど)
そして、
持って行った時には命を引き取る時だった。
あの子たちは、呆然と立っていて、
身内の死とはあまり触れてなかったので、訳がわからない感じで。
利用者様の家族に頼んで、通夜に参加させていただいた。動かない姿、雄太は顔をそっと触って黙っていた。
帰りの車で黙っていた雄太が、何を言いだすかと思ったら、「ねー美優、次どのばぁちゃんに会いにいく?」と。
美優は、ひいばぁちゃんの死を以前見送った時のことを覚えていて、「ひぃばぁちゃんの時は凄くこわかった。今日のばぁちゃんお顔見たけどこわくなかった」と。
そんなことがふと、思い出された。
葬儀も、
私の子供の時、町内の公民館に祭壇が置かれており、地域の方がなくなった時に、家で祭壇をかり葬儀も行われていた。近くの人が集まり、炊き出しも一緒にしていた。
うちの父が54歳でなくなった時も、家でそう言えばしたな。
お盆になれば、今もそういう地域もあると思うけど、盆踊りの時に地域の方の写真が飾られ、その前で踊り、そして私たち子供はアイスボンボンを貰っていた。
なんだか、そんな昔があり死が遠いようで近い感じよかった。
日常で死生観って養われていたような気がする。死を近いものとして。
昔をとりもどせ。時々本当に思う。
今日は、素朴に感じたことを看護師としてではなく人として書きました。
死生観、看取りに対して話すと、いろんな視点で本が書けるくらい、
きりがないので、コマ切れに発信します😅