はじめから、わかっていたわけではない。
高齢者施設に来て、
沢山のなぜ?と向き合い進んできた。
まず施設には常時医師がいるわけではない。医療機器も十分になく戸惑うばかり。
そもそも、
施設の看護師の動き方なんて習ってないし、それに介護スタッフと同じ視点でなんて、言葉も通じないしと、
はじめどう向かい合っていけばよいかもわからなかった。
医務室の設置基準は、健康管理を行う場所とあり、その意味さえわからず😅
ご利用者や家族への説明も、医師の代わりに行わないといけない時もあり慣れず、
ご家族から私の説明の仕方が難しくてわからないと言われたこともあった。
何度も葛藤しながら、ひとつずつ紐を解いていったり、経験することで、出来ることが、そして本質がわかってきた現在。
そう、病院では医師がいて、導いてくれる人がいる。
しかし、
治療優先の病院と同じ感覚で生活の場で支援できるわけもない。
病院で習った学んだことは、基礎であり、そのまま介護現場であてはめてやるとおかしなことになり、問題が山積みになる。
それを個別に生活面にあてはめていかなければならない。
何のために?
その方らしく生きる支援をするために。
例えば、水分をとるということ一つも、
一般的に、1500cc以上とればいいと言われている。
その方の体重に合わせたものでないと負担になる。
65歳以上の方は、
体重✖︎30 または25 が飲水量。
心不全や腎不全等、病気を持ってる方は、また違う。
そして、ただ飲めばいいという問題ではない。
そもそも、何で水分は必要なの?
水分を取らないとどうなるの?
そういうこと、
本当にわかっていて介護するものは提供できているだろうか?
どうやって、何を?どのような状態で?
水分って食べ物にも入ってるよね。
飲み物はそのままの形で大丈夫?
飲み込み具合は?
ご本人が苦にならないようにするには?
なぜ飲めなくなってるの?
本当に今の身体に水分は必要としているの?
楽しみを持つには?
それぞれ、
水分をとるということでも意味合いは違ってくるということ。
それを利用者別にあてはめるということ。
人それぞれ価値観が違うように、みんな違う。
病院では、高齢者に対して、もう身体に水分が入らない吸収できないのに、1500cc以上の点滴をして、身体に水がたまることがある。
そうすると、背中など身体の下面に硬く水がたまってくるのがわかる。
ゼイゼイ、ゴロゴロいってきて、タンをとるのに吸引が必要になる。
尿が出にくくなってるからと利尿剤をかけながら、点滴をまた入れる。身体にまた水分がたまり臓器を圧迫する。
一向に楽にならずに苦しくなり、それで死に向かってしまうこともある。
また、肺炎で入院していないのに、肺炎になることも。
高齢者の死亡原因は肺炎が多い。(第3位)
他の病気が治ってきたのに、お口の中は雑菌だらけ。口の中をキレイにしないと、肺に菌が入ってしまう。
また、
寝ていただいている姿はどんな感じか?寝ている時に起きる肺炎が多い。
解剖生理学的にいうと、あごを突き出したように寝ると、身体の前にある気管に間違って汚い菌まじりのだ液やたんが入りやすくなる。
姿勢は大切。
こうやって、一つ一つ意味を知って介護看護をすることが、予防に繋がるんだと。
現場で、今までの常識を打ち砕いて前に進み学んできた。
予防をすれば、医療は必要最低限でよくなることを今なら理解できる。
そしてドンドン意味がわかると介護が看護が楽しくなってくる。
介護看護に求められることは、意味を知って対応すると、利用者の健康管理が出来るということ。病気にならずにすむことも沢山。介護現場でもみんなが楽になっていく。
また、それぞれの職種を理解し協力し合いチームになることが大切。
よく耳にするのは、
看護師が一番理解を示してくれないからどうしたらよいのかと他施設から相談を受けることがある。
看護師こそが、変わり理解し動くことでどれだけの人が助かるか、そんな誇りある仕事をしていることを理解してほしい。
何のためのプライドか?看護師としてのプライドというか自分を守るためのプライドになってはいないか?
病院のやり方や自分の経験値でそのままやるのは、ナンセンスですから。
本当のプライドは今あることだけに、とらわれず打ち砕いて、心を通わせ、人のために動くということ。
そうすると、その人らしく生きる支援につながる。
利用者の笑顔が私たちのやりがいへとつながる。
ワクワクしてくる。
一つ一つ流れていく仕事になっていないか?
もう一度私も含め、立ち止まることが必要ですね。