【私の認知症のばぁちゃん】

私のばぁちゃんは、特別養護老人ホームで最後は過ごした。措置時代、平成10年92歳でなくなった。

私自身は、2歳の頃から若松の有毛という場所で、祖父、祖母、父、母、兄と過ごして育った。

祖父じぃちゃんは、私が小学校二年生の時肺がんの骨転移で亡くなった。

背中にコブができて痛がってると、嫁である母が病院に付き添い、発見した時には末期だった。

九州厚生年金病院に入院し、じぃちゃんは苦しそうに亡くなったのを覚えている。

とても優しいじぃちゃんで大好きで、苦しんでいる姿を見て、神様はひどいと言っていたのを覚えている。

ばぁちゃんは気性の激しい人だった。

ジュリー(沢田研二)とプロレスのテレビを観るのが好きで、アメをやるから一緒にテレビを見ようとよく誘われて、テレビの下の扉から氷砂糖を取り出しては、私の口に入れてくれていた。

私が学生の時、ばぁちゃんは、大腸検査をした時に体調を崩し食事が食べれなくなった。

病院から電話があり、命が危ないのかと思ったら、混乱状態で点滴を抜くので大変だということだった。

認知症状の悪化💦

どうにか食べられるようにはなったが、認知症の祖母との生活がこんなに大変なものになるとは思ってはなかった。

自宅に帰ってきたら、

私をどこかにやったらいけないと監禁されそうになるわ。

財布が無くなったからと、何度も夜叩き起こされるわ。

私は、いいことを考えたと思い、同じ財布を👛買って、ばぁちゃんここにあるよと渡していた。

(ある時、手に二つ同じ財布を持っていて混乱していた💦)

満洲に昔いたことがあり、「クーニャン」とよばれたと思えば(娘のことらしい)、泥棒が服を変な風にしてタンスに戻してくると、自分で破ったりしてぐちゃぐちゃにして、いれていて。

泥棒のマークがあるとまた、呼び出される、勘弁してくれーと思い行く。

泥棒のマーク、それはYKKのマーク(笑)

泥棒が盗んでは、ここに戻していくと、見事、YKKのチャックの服を集めていたのには逆に感心した。

そしてある時は、人糞まみれで犬と帰ってきたのには驚いた。

そのころ農家の畑に人糞を撒いていたので、犬を散歩させ、こけたらしく💦

徘徊は酷くなり、近くの方がトラックでつれて帰ってきてくれたことも。

途中、歩けなくなりおかしいなと思ったら、大腿骨を骨折していたらしく、私も学生だったので知識もなく💦

ばぁちゃん、ごめんね。あの時は神様ありがとうと思ってしまったのよ。徘徊するのにホトホト疲れていた家族。

そんな時、ヘルパーさんが来てくれていて、うちの家にホッと明かりがさした感じだった。

(その方の影響でうちの母は、ホームヘルパーの資格を取りしばらく働いていた)

その後父が入院し、通院が大変になったので、いろんな介護施設のショートスティに行ってもらい。

父が亡くなった時も、ばぁちゃんには知らせない方がいいと葬儀に親戚は出さず。

ショートスティ先のスタッフから、ばぁちゃんが息子である父の名前を呼んで混乱していると言われた。

親戚に反対されたけど、いやっきちんとお別れをいった方がいい!!と勝手に初七日の日に連れて帰って、ばぁちゃんに父が亡くなったこと説明した。

じっと遺影をしばらくみて、

認知症であれ、きちんと受け止めたようで涙を流してウンウンと頷いている姿を今でも覚えている。

結局は、転々とショートスティや老健施設に行っていたけど、最終特養に入所させてもらった。

祖母は嫁いびりが酷く、うちの母が時々出て行ったこともあるくらいで、でも、認知症が酷くなっていくと、実の娘たちよりも嫁の母に対しての信頼をとても感じたし、母も最後はよくしたと思っている。

私は内孫で、本当に大変でくそばばぁだったけど、一番かわいがってもらった。

特養に入所して外泊させていたけど、最後は、帰る帰ると夜中に起こされて、あーっもうばぁちゃんの居場所は老人ホームになったんだと思う瞬間があり、平成10年最後は老衰で亡くなりました。

その頃はまだ、老人性痴呆と病名がつけられており、措置時代で、私も看護学生から看護師になった時なので認知症ケアがどんなものかわからず、家族としての立場での葛藤が沢山ありました。

内孫で一番そばにいたので、気性の激しいばぁちゃんには苦労はしましたが、今の高齢者に携われているのは、ばぁちゃんのおかげだと思っています。

今、天国で私のこと見守ってくれているかな(笑)

ばぁちゃん、ありがとね。

【何ともいえない寂しさ】

自分らしく力強く生きた養護老人ホームの利用者様がが亡くなられました。永眠98歳。

この一年、入院したり、膀胱がんがわかり痛みとの戦いがあったり色々ありました。

Aさんは、カリフォルニア生まれ。フィリピンのヘルパーさんとの英語の会話が楽しみでした。

メルヘンチックな絵を描かれたり、電子辞書で学んだり😊

ヨゼフに来て、牧師さんとの出会いで再びキリスト教信者になられ、洗礼をうけ、とても温和に過ごされました。

娘さんたちは、明るい三姉妹。

家族会で最期のお看取りについて話し合われる大切さをお伝えしたら、すぐ家族会議を開き、最期は自然にヨゼフでとご本人とお話しし、伝えに医務室に来てくださいました。

一時期から血尿が出て、膀胱がんと判明。

入院中、病院に会いに行くと、死んでもヨゼフでお別れ会をしてくださいと手を握り私にしっかり言われ💦

死んで帰るのではなく、生きて帰りましょうと話したのを昨日のことのように思い出します。

娘さんたちは、入院時もパニックになっては施設にこられお話をし。

そんな中、あれだけ痛みがあったのに、症状が治り無事来園。

それからも、スッとカロナールだけで治るという奇跡。

その後も肺炎になったり治ったりしながら、日々弱っていく姿を見て、

担当者会議では昔から馴染みのケアマネージャーが、ご本人らしさを尊重した支援をしましょうと話を進め、それぞれの立場での意見、入浴は訪問入浴を入れることにし、毎回楽しみにされていました。

最近は、呼吸状態が不安定な中、

ベッドの上でコーヒーやチョコレートのみならず、時にはせんべいを食べるという💦

タンがゴロゴロいっても吸引はしませんと一点張り。

酸素も下がってきていたので、時に酸素マスクをしたり外したり。

どうしましょうか?とスタッフ。

ご本人の好きなように支援しましょう。医師もそれがいいと。

ご家族にも話しすると、もし煎餅で窒息してもなくなっても仕方ありませんとの返事。

亡くなる数日前は、ヤシの実のおやつが食べたいと娘さんに言ったそうで、さすが娘さん「ココナツサブレ」じゃなかろうかと買って差し入れ、当たり❣️

死ぬ間際まで、起きたい時は起き、他のご利用者とお食事。

ヘルパーが来ているルポックの服をみて、それいいねと買いたいとピンクの服をお気に入りでした。

何度も何度も生還、ドラマがありました。

昨日娘さんの一人が遠くにいるので帰ってこられ、三人娘がそろい、「お父さん静かに眠って朝亡くなってたというのが理想よね」と本人もウンとうなずき、話して帰った後、本当に早朝になくなりました。

亡くなったら皆んなでお別れ会をしてほしいと頼まれていましたので、沢山の利用者様とご家族とスタッフでお見送りをしました。

葬儀場ではなく、施設でのお見送り。

ご利用者がお御堂がいっぱいになるほど、沢山あつまり、一人一人思い出を語り声をかける姿を見て感動😢

この場所はひとつの社会。

お互い様がある。

先に行っててね、私もいくからね。

いつもありがとう。

そんな言葉が行き交ってました。

新人の19歳の支援員が泣きながらお別れをいい😢

数日前、私が訪室していると来て、手を握り、もう命は短いんですか?と小声で問われ、私がうなずくと、手を握り涙を浮かべしばらく離れずにいた姿が目に焼き付いています。

彼女はとても優しく、素直なスタッフです。

私も全部が終わり医務室に戻り、

看護師たちとボォーっとしてしまい。

【なんとも言えない寂しさ】を感じました。

介護や医療に携わると、

Aさん自身との別れだけでなく、そのご家族との別れも辛いものです。

その人らしさを支える大切なお仕事。そんなところに居れることは、とても幸せだなぁと思いますが、寂しさでどうしようもなくなる時があります。

ご冥福をお祈りいたします。

あの世で、見守っていてね😊

【インスハートコンサート再び、そして落水洋介の現実】

インスハートは、本当に日々医師として現場で頑張っておられます。

医療現場は本当にきれいごとで終わらない。患者さんと向かい合っても、治せない救えない現実に心打ち砕かれることがある。

私も看護師だから、

救えない命があったり、病気や障害と共存して過ごすことの大変さと対面した時に、私たちに何ができるのか?葛藤しています。

だからこそ、

歌で心を癒し寄り添いたいという熱い思いの彼らに、わたしも心動かされ、応援したいとまた主催を決めました。

そして、難病の友人である落水洋介くん。

前向きは技術という彼の言葉の裏には、看護師だからこそ見える彼の変化や葛藤があります。

マイナスなことを思っても仕方がない。だから笑顔で前向きに、本当に共感する言葉です。

でも、目をつぶっていて前向きばかり考えようとしても身体は正直なんです。

彼の変化を感じています。

しゃべりは遅くなるし、食べる時に口からこぼれたり、手の指の動き、車へ移乗する時の感覚、身体の向きが上手く変えれずきっと眠れてないのはわかるし、毎日ヘトヘトなのに、笑っている。

マイナスに思っても仕方ないと必死。必死に本当は生きている。

正直、インスハートの落水くんの歌【わたしへのさよなら】を始めて聞いた時、流石だなやっぱり医師だなと思いました。

彼ははじめは、歌の内容を聞き、自分とは違うと私にいいました。

なぜかって、インスハートの歌はいつも笑っている彼のイメージとはかけ離れたものだったからです。

本当の心の奥底はインスハートの歌のとおり葛藤する部分がある。

それを考えるのが苦しいから、考えても仕方ないと前を向いて生きてきたから、違うように聞こえたのでしょう。

その後に、この歌に蓋をして忘れていた自分の感情に触れた彼がいたと思います。

私にとっても、きれいごとばかりでない、彼のそして家族の心の葛藤を感じ、目を背けてはいけないと思わせてくれました。

笑っているけど、

落水洋介は必死に生きているんです。

側で一番何だかんだ口うるさくって、あーやこーや言ってしまって反省するけど、わたしも苦しい時がある。看護師と友人という視点で揺れ動く。

そして、ご家族。

とても温かいお父さんとお母さん、奥さんと子どもさん、ご兄弟。

同じく彼を思い苦しみ葛藤もありながら、彼を愛し付かず離れず寄り添っている姿をみて、素晴らしい家族の形だなといつも感動させられます。

それぞれ、苦しい時もあるだろう。

でも、同じく前向きに笑って共に、この落水くんと家族、そして仲間と一緒に支え、支え合って生きていけば、困難なこともともに乗り越えていけると信じている。

皆さんも日々がんばっておられることと思います。

もっと沢山の辛い現実と戦っている人の励みになり、仲間となり、共生できるそんな地域、社会になればと信じてます。

1月6日のコンサートの時は、本当に沢山の子どもさんから大人、高齢者、障害者の方も来てくださり、これが共生社会の縮図だと思わせてくださいました。

皆さんと共に生きる。

今回は、ColorhythmRisaちゃんにも登場していただきます!!

12月28日も、きっとそんな温かい場所になるように仲間とともに、頑張っていきますので、よろしくお願いいたします🤲

ぜひ、足をお運びください★

チケット購入

http://ptix.at/NphwWy

落水洋介応援隊 代表 真鍋 哲子

【最後の自己選択とは?】

人は生きていく過程で、環境に左右されて生きてきている。

人は皆いつか死ぬ。

死ぬって言葉は考えたくもないしタブーとされている世の中。

でも、こんなはずじゃなかったと大切な方を見送った後に後悔してしまう。

そう後悔する人生で最後を締めくくってもらいたくはないし、残されるものの気持ち大切にしたい。

私自身、医療介護現場で働いてきて、ずっと自分の中での葛藤もあった。

命の問題になった時、本当は、今ある環境下でも5つある選択肢があるとしても、2つのやり方しか利用者に提示されなかったりする場合がある。

何が自己決定、自己選択なんだろう?

ある血尿で苦しんでいる利用者がいた。泌尿器クリニックに通院し、尿路感染と抗生剤が出された。また、コアグラ(血の塊)が出るのに、バルンチューブ(尿の管)を入れ施設に帰ってくる。

私たち看護師は管の中で血塊が詰まるんではないかと恐れていたら、土曜日の夕方案の定つまり腹痛を訴えた。バルンを救急処置として抜去。

結局、何度通院しても、血尿は止まらず、大きな他の病院で検査したらどうかと思うも、クリニックの医師が自分のプライドがあり、解決できないのに囲い込みをする。

自分を守るプライドなんかいらない。医師として患者を守るプライドが欲しいと思った。

しつこく これは何か膀胱内にあるかもしれないのでと、何度も丁寧に医師に上申。

医師と話をし、そんな中ご家族も、ご本人が入院するのが嫌であり、検査も苦痛であるだろうから大きな病院にはかからなくていいと言われる。

しっかり物事知ってから決めるのも遅くないと思い、

施設長相談員に入ってもらい、看護師としていろんな選択肢を説明。

検査に行ったらどうなのか?原因を知るということは?手立てができるかもしれないし、出来ないかもしれない。検査の内容について考えられること。やるということに意味があるのか?

逆に血尿で痛みを伴っているのに検査をしないなら今後どうなのか。施設で過ごすとは?病院で過ごすとは?緩和ケアについて。

本人の今の言動と思い、家族の思い、これからどうありたいのか?を話し合い医師に相談。

医師だけの責任ではなく、私たちも生活の中で支えている看護師だからこそ、医師に生活面や医療面、精神的なことをしっかり伝え相談する役割がある。自分たちからいうのがいい場合と、伝えられる場合はご本人、家族からきちんと伝えてもらうほうが一番なので、一緒にチームで整理する。

結局、大学病院に受診。

検査をして膀胱がんが発覚。

覚悟は決まった。治療の方向性も。

ご家族も知らないで、いろいろ決めつけていて検査してよかったですと言われ涙。

その後、嘱託医の病院に一旦入院。血尿に対する治療と痛みのコントロールと。そんな中本人はぜったい施設に帰りたいと頑張った。

そして今、

あれだけ痛みがあり苦しんでいた方が、施設に帰ってきたら、カロナール服用のみで痛みが和らげて生活をしている。

自分のペースで思い通りに生きるということが痛みを和らげる。

しかし今度は肺炎併発💦

好きなおやつを食べていたり思いのままであったが、その後また途中肺炎になって危機に。

あちゃーと思った。

先生が入院治療をすすめるのがわかっており、本人に意向確認をする。

私に、「もう歳だから。ここで死にたい。覚悟しています」とご本人。

自分の言葉で先生に言えますか?はいと。

往診時にはっきり「ここがいいです」と必死に話される。

先生も本人の言葉なので、わかりましたと。

施設で抗生剤の治療開始。

寝てばかりいると感覚が病院と一緒になり、場所がわからなくなるので、食事時は短時間起こそうとナース判断する。

結局肺炎は良くなり、無気肺をおこしているのかspo2が下がるので酸素をして生活をしている。

ケアマネとヘルパーと施設スタッフ、相談員、施設長、看護師含め会議をする。

その人らしさを支えるためにどうしたら良いのか?

ひとつひとつ何か生きていく時にはトラブルがあり、その都度選択しないといけないことが沢山ある。

その導き方ひとつで、その方の最期が決まる。

私たち医療介護従事者は、その重みを感じじっくり向き合い、話し合う必要がある。

命にまつわることは急にきたりする。家族も何を言ってるの?と混乱し理解できない場合もある。

そんな時に心強く支えられる看護師の存在でこれからもありたい。

【大変な時こそチームで集中】

お看取りや認知症のご利用者が増えている介護現場。

スタッフも頭の中がそれぞれ、大変で埋め尽くされてしまうと考えが定まらず、疲弊してしまう。

そういう時こそ、しっかり見つめることが大切。

ご利用者の動き、私たちスタッフの動きの見える化。環境の見直し。

入所して環境が変わって不安で、立ったり歩いたりされる認知症のご利用者。

ここはどこだろう?あなたは誰?すごく不安な様子がわかる。

過去を知る、そして、

いつもよりしっかり24時間観察、記録をし分析する。(期間を決め集中)

どういう時に不安な行動をされるのか?

どんな表情や行動をされるのか?

逆に、どんな時に表情がよくなるのか?落ち着かれるのか?笑顔は?

会話の一つ一つを聞き取る。

その意味をひもを解く。排泄は?食事は?体調は?

しっかり多職種チームで助け合う。強みと弱みの視点も大切。

●人的環境を整える。

人との馴染みを💕スタッフだけでなく他の利用者との相性を探りながら、席を隣にしてみたり。

ご家族の協力、ここに馴染むために顔を見るのはじっと我慢。様子を伝える。

●馴染みの場所は物をどうする?

ここに座ると人の動きが見えすぎて、更に不安になるのでは?

椅子は普通のが良いのか?

ソファで寄り添うようにくつろいでいただくのは?外が見える方が良い?安心できるものは?

ぬいぐるみ?毛布?馴染みのものは?など。

夜間不眠時、

スタッフもトントンと横に付き添い過ごす。時間がないのではなく覚悟を決め、集中して横につきそう。

他のご利用者との影響は?

何時間睡眠がとれた?

1日の生活リズムは?

根気よく、スタッフはよく頑張ってくれてます😊

利用者が不安であるとともにスタッフも感情が引き込まれないように、責任者は声かけ、毎日の短時間のミーティングのすり合わせ。

毎回、新しいご利用者もスタッフが根気よく声かけあい付き添うので、いずれ落ち着いてきます。

行動を否定をせず、受け入れてうちのスタッフは優しいなといつも思います。本当に感謝😊

とりあえず言いたいのは、

混乱したり大変な時は、

集中して見つめて、分析して明確にしていくこと。(見える化)

スタッフ同じ動きにしていき、混乱をなくしていく。

安心したら、きっと笑顔になるから😊

でも、これって、認知症の方だけに当てはまらないよね★

【過去にとらわれず前に進む】

私も昔、過去や今までのマイナス部分に縛られるという苦しみを味わってきた。

でもその時、何かのせいにしても苦しみから解放されることはなかった。

正直、自分を変えることは、不安で自信がなかった。出来っこないと思ってもいた。

でも…..一歩を踏み出さないと何も変わらないと思った。私には守るべきものがあったから。

本当に、何が正しいか間違ってるかわからないけどガムシャラになって前に踏み込んで行った時、

フッと出来なかったことが出来るようになって、心が軽くなっていた。

【なんだ、こんなことか】

その一歩の踏み出し方がわかると次の一歩は軽くクリアしていけるようになった。

【今まで、何を頑なに自分は守ろうとしていたのか】

私だって、乗り越え方なんてはじめからわかってた訳ではない。

恐いけどその、一歩を踏み出しただけなんだ。

その時、周りの愛に囲まれていたことに気がついた。

自分一人で変わったわけではない。人の支えや愛があったから。

だから、悩んでいる人、変わろうとする人のその一歩になれればと決めてきたし、今もお互い様で応援していきたいと思っている。

しかし、無理なこともある。

自分の弱い寂しい気持ちを満たそうと頑なに自分を守ろうとして、利己的になり人のせいにして他人を傷つけてしまう人ともよく出会う。

今までずっと、

彼ら彼女らは好きでそんな風になったんじゃないんだと信じて思って、何度もぶつかっていった。

でも、変わろうとしない人をどうにも出来るわけではなかった。

引き際を考えなければ、自分の身を滅ぼしたりクタクタになるんだ。

そこにパワーをとられると、身動きが取れなくなる。そして、周りにもかえって迷惑をかける。

だれもが認められたい、愛されたいと思ってる。

そして可能性がない人なんていなくって、その頑な心を溶かして、やり方を変えるときっと変わると信じてる。

でも、

【本人が気がついて、自分と立ち向かわなければ、変わらないこと】

それを、私自身言い聞かせながら生きている。自分はどうかなんだ。

私は、

長所でもあり短所=共依存体質。

私は可能性のあるところに目を向けていく。

【私にとって重要なこととは?】

私の人生のテーマは、

【子どもも大人も学生も障害者も高齢者も外国人も共生できる地域社会へ】

①人に尽くすという理念のもと高齢者施設での現場で看護師をしながらご利用者のために多職種でチームケアを行う。それを外に発信。魅力ある介護現場へ。

(日常生活、軸はここにあり)

②命を見届ける心ある自然な看取りの実践。逝くもの残されるものも後悔しないようにその人らしく生きる支援をしたい★

(現場での実践。人生会議へ地域の方との取り組み開始!!)

③生活の中での看護、今までの施設看護師としての経験知識を活かし、やりがいある看護を伝える。

施設看護師を認めてもらえる職業へ。

(全国高齢者施設看護師会、学校その他講師業)

④介護という仕事の生きがいを伝えたい😁

二次障害予防、排泄、姿勢ケア、口腔ケア、認知症ケア等をトータル的に意味づけ(根拠)。やりがいある介護を味わってもらいたい。

(現場実践、介護職員育て、地域への発信)

⑤チームPLS

福祉医療の情報発信基地寺小屋

地域連携、医療介護の連携、コミュニティへの参加協力。過ごしやすい北九州世の中へ 地域貢献の実施。知野さんとのパジャマ倶楽部で介護に形を✨

(医療と介護の見える化の実現、 落水くんとその仲間との関連活動)

⑦子どもたちの未来が明るいものになるように、北九州キャリア教育研究会や児童養護施設や里親などの社会的養護を必要とする子どもと関わり続けたい。

(北九州キャリア教育夢授業等~)

⑧今からのITやA Iテクノロジーと介護を結びつける。そして人対ひとの心あるケアへの充実へ。

(介護I T普及活動)

⑨地域での次に担う次世代をバックアップし、盛り立てていく。応援したいと本気で思えた人に対して尽くす!!自分の子どもに対しても同じく(笑)

欲張りですが、実現します!!

宣言!!

【人生会議 異業種共同体】

正直、私たち人間は、急に何かがおきた時どうしたらいいのかと混乱してしまいます。

その時、本当の意味で、その人らしさの自己選択、意思決定って出来るのでしょうか?

皆さんは、

ご自分の人生の最終段階ついて本気で考えたことがありますか?

ご家族や知り合いの方の命を見届けたことはありますか?

このことを

訪問看護師、施設看護師、司法書士、葬祭業、介護福祉士、障がい者(笑)の熱き有志に声をかけ、集って考えました(飲みながらですが😅)

※ 葬祭業の新保くんは、グリーフケアについて学んだと語る。訪問看護師(坂下さん、窪田さん)は聞き入る。

普段それぞれの立場(専門職)の経験値を重ね、人のためにと志をもった仲間です。

私たちは、

命を見届ける過程で、きちんとした情報を知らないまま、備えてないまま、その時を迎えた時に後悔している人を沢山見てきました。

延命処置をするのか?の問い、

そもそも延命処置ってどういうことを示すのか、その時の状態に効果があるのかないのか?

病気ひとつも検査はどこまで?

どんな病院や介護サービスがあるのか?

世の中のしくみは?

もしもの時に財産に関しては?

遺書ってどこまですれば有効なの?

土地や財産、

亡くなる時意識がなくなる前に誰に託す?

お葬儀はどこで?

どのように?

お金はどのくらい?

またご家族が皆さん同じ気持ちであるのか?

それ以前にその方が生きてきた過程やどう生きたいか?

その人らしさってなんだろう?

残されたものの癒しとは?

※ 葬儀のことだけでなく、不動産業も営んでいた菅野くんは、空き家問題のことも気になると。

何もない時から、生きて行く過程の中で早めに色んなことを知り決定して行くことで後悔しない人生を過ごしてもらえるではないか?

詳しくは…としても、

ある程度の専門的な知識を持っておき、

迷った時はどこに相談すればよいのか?

を知ることも大切かなと思ったんです。

※ 司法書士の立場から、浜田くんは、亡くなる前に備えてこくとよいことを語る。備え方を間違えると無駄になってしまうので正しい知識は必要だね。大体、司法書士って何?から(笑)

落水くんに、テレビであった安楽死の件について語ってもらったら、

人それぞれの選択なので、その方にとっての間違いはないにしろ、もっと難病であってもいろんな生き方や周りの支援や方法の選択肢を沢山知っていたら、その人の人生違っていたのかもと。

本当の意味の自己選択、自己決定はあらかじめ健康で考えられる時に、正しいことを知り備えておくことで変わっていく。

自分の命、自分であらかじめ決めておこう。

これから地域貢献!!

何かやっていこうと思っています☺️

早速、〔スキルupパンピー✨チーム〕として、プロジェクトを計画、遂行していきましょう!

と坂下聡美ナース★突き抜けてるなー💕

【何のために仕事してるの?】

ついね、頭の中で変なスイッチが入ることがある。

外で講師業をしていて、

受講者に具体的に問いかけて考えて

シェアしてもらうことがある。

そこで、出来ない理由をいったり、

人のせいにしたりする方がいると、

ついプチンと来てしまい、

毒舌になることがある。

わたし人間できていないのです😅

数年前も介護職員向けの研修で

グループワークをし、

いろんな課題を出して話し合っていただいたことがあり、

だって仕方ないじゃんね、忙しいし、人がいないし、職場がよくないということを言ってた人がいて、絶句。

しばらくして、深呼吸をして、ダダッーて話してしまった。

一生そうやって出来ない理由をいって、人のせい、環境のせいで生きていくのですか?って。

1日でも仕事する時間は長いのに、一生グズグズいって時間を無駄にするのかと。もったいなくないですか?って。

はじめは、そんなつもりで仕事をはじめてはいないと思う。

例えば人間関係でも、この人だったらすぐ仕事がスムーズにいくけど、嫌いな人とは交わらないとか、

正直、この業界がどうとかではなく、

どこにいっても、

そういう感覚な方がいればうまくいきませんねと。会場がシーンとしてしまった😅

人や環境のせいにするのではなく、

自分がまず一つでも動いてみることで変わることはないのかと。

介護は楽しい仕事なのに非常にもったいないと。できない人はいない。

すべて自分次第。

そのことが、

先日の講義中思い出されてしまった。

介護のテキストに書いていた言葉、

【利用者の生きる喜びと意義を見出せるように支援すること出来てますか?】と問いかけてみた。

シーン。

仕事が業務的にこなしていくことに視点があり、あっ出来ていないって感じだったみたいで。

次は、自分に置き換えて考えてみましょうと話をしたのだが、自分の生きる喜びと意義、考えること…あっ、ない様子だな😅

つい、自分のコミュニティでは、

この類はみんな考えている人が多いので、

感覚が違うことに気がつく。

これが普通なのか。

多分、奥底には、

熱いものがあると信じて話す。

それに少しでも気がついて考えてくれたなら、よしだとして。

そこの、

あなたはいかがですか?

自分の生きる喜びはなんですか?

【自己選択、自己決定をする前に】

自分の人生は、自分で決めるのが一番。

とよく言うけど、そもそも皆さん選択する程、きちんとした情報を知って決定しているのか?

よく地域の一般の方や介護関係の方から、ご家族やご利用者がいざ急に何かが起きた時、医師から説明を受けても、よく意味がわからないので、どうしたらよいかと相談受けることが増えている。

生活を支えているものが、きちんと代弁することが必要。

しかし、その前に話し合いがなされていない、そもそも選択肢は何があり、どのような意味かを知らない。

①急なことで、説明を受けてもパニックで受け入れられない。

②説明をうけても難しくてわからない。

そもそも経験したことがないからわからない。

急に事故になったり、病気になったり、いつどうなるかわからない。

だからこそ、今知ることが必要。

例えば、普段から、延命って何?人工呼吸器って?経管栄養って?どんなことをするの?きちんとした知識を知らないと選択ができない。

その都度、

いろんな選択肢があることとその内容をしっかり理解して選択できるか、

それと、その時の状況によって違うので、遠い将来高齢になって延命したくないといずれ思っていても、今若い時に何かが起きた場合、まだ延命してほしいと思うかもしれない。

ある方から相談がありました。

体調を崩し、ご家族が

高齢で食事が食べられなくなっている。

栄養が十分でない。

老衰の域にはいっているのかと思いきや、ご本人はまだ意思決定が出来、食べれるようになりたい、入院したいと思っているよう。

ご家族はご本人の話は理解できるが、

医師からは、もう高齢でこのままでいいでしょうと言われる。入院はできないものと思っている。だから仕方ないんだと。

憤り感じますよね。

そのことを、

表現できないわけではないけど、医師から言われたら言えないのだそうです。

そんな思いの方が日常にいるんですよ。

結局、医師に相談できるように繋ぎましたが。

もちろん、逆のパターンも多いですよね。

食べられなくなって衰弱している。本人もご家族も栄養や水分が足りなくなっても、痛み苦しみがなければ自然に、好きなものだけ少しでも食べ家族の中で最期を逝きたい。

それなのに、それは難しいですと入院をして点滴で逆に身体に水が溜まり苦しんでいる。

人道的にどうなのか?

意思決定以前の問題、

そんなことが日常にあってるんですよね。

しかしながら、医師がどうである以前に、もっと自身が知り、ご自身の命や家族の命について考えることが必要。

私は、職場の家族会でもご家族にお話をする。入り口は、一番近い方と施設長や相談員とお話をしているが、家族は他にもいる。

最期後悔しないように、体調の変化があった場合、その都度説明をし、気持ちを揃える私たちの役目がある。

詳しく選択肢を知って、自己選択、自己決定。

本当の意味の人生会議をしよう。