人は生きていく過程で、環境に左右されて生きてきている。
人は皆いつか死ぬ。
死ぬって言葉は考えたくもないしタブーとされている世の中。
でも、こんなはずじゃなかったと大切な方を見送った後に後悔してしまう。
そう後悔する人生で最後を締めくくってもらいたくはないし、残されるものの気持ち大切にしたい。
私自身、医療介護現場で働いてきて、ずっと自分の中での葛藤もあった。
命の問題になった時、本当は、今ある環境下でも5つある選択肢があるとしても、2つのやり方しか利用者に提示されなかったりする場合がある。
何が自己決定、自己選択なんだろう?
ある血尿で苦しんでいる利用者がいた。泌尿器クリニックに通院し、尿路感染と抗生剤が出された。また、コアグラ(血の塊)が出るのに、バルンチューブ(尿の管)を入れ施設に帰ってくる。
私たち看護師は管の中で血塊が詰まるんではないかと恐れていたら、土曜日の夕方案の定つまり腹痛を訴えた。バルンを救急処置として抜去。
結局、何度通院しても、血尿は止まらず、大きな他の病院で検査したらどうかと思うも、クリニックの医師が自分のプライドがあり、解決できないのに囲い込みをする。
自分を守るプライドなんかいらない。医師として患者を守るプライドが欲しいと思った。
しつこく これは何か膀胱内にあるかもしれないのでと、何度も丁寧に医師に上申。
医師と話をし、そんな中ご家族も、ご本人が入院するのが嫌であり、検査も苦痛であるだろうから大きな病院にはかからなくていいと言われる。
しっかり物事知ってから決めるのも遅くないと思い、
施設長相談員に入ってもらい、看護師としていろんな選択肢を説明。
検査に行ったらどうなのか?原因を知るということは?手立てができるかもしれないし、出来ないかもしれない。検査の内容について考えられること。やるということに意味があるのか?
逆に血尿で痛みを伴っているのに検査をしないなら今後どうなのか。施設で過ごすとは?病院で過ごすとは?緩和ケアについて。
本人の今の言動と思い、家族の思い、これからどうありたいのか?を話し合い医師に相談。
医師だけの責任ではなく、私たちも生活の中で支えている看護師だからこそ、医師に生活面や医療面、精神的なことをしっかり伝え相談する役割がある。自分たちからいうのがいい場合と、伝えられる場合はご本人、家族からきちんと伝えてもらうほうが一番なので、一緒にチームで整理する。
結局、大学病院に受診。
検査をして膀胱がんが発覚。
覚悟は決まった。治療の方向性も。
ご家族も知らないで、いろいろ決めつけていて検査してよかったですと言われ涙。
その後、嘱託医の病院に一旦入院。血尿に対する治療と痛みのコントロールと。そんな中本人はぜったい施設に帰りたいと頑張った。
そして今、
あれだけ痛みがあり苦しんでいた方が、施設に帰ってきたら、カロナール服用のみで痛みが和らげて生活をしている。
自分のペースで思い通りに生きるということが痛みを和らげる。
しかし今度は肺炎併発💦
好きなおやつを食べていたり思いのままであったが、その後また途中肺炎になって危機に。
あちゃーと思った。
先生が入院治療をすすめるのがわかっており、本人に意向確認をする。
私に、「もう歳だから。ここで死にたい。覚悟しています」とご本人。
自分の言葉で先生に言えますか?はいと。
往診時にはっきり「ここがいいです」と必死に話される。
先生も本人の言葉なので、わかりましたと。
施設で抗生剤の治療開始。
寝てばかりいると感覚が病院と一緒になり、場所がわからなくなるので、食事時は短時間起こそうとナース判断する。
結局肺炎は良くなり、無気肺をおこしているのかspo2が下がるので酸素をして生活をしている。
ケアマネとヘルパーと施設スタッフ、相談員、施設長、看護師含め会議をする。
その人らしさを支えるためにどうしたら良いのか?
ひとつひとつ何か生きていく時にはトラブルがあり、その都度選択しないといけないことが沢山ある。
その導き方ひとつで、その方の最期が決まる。
私たち医療介護従事者は、その重みを感じじっくり向き合い、話し合う必要がある。
命にまつわることは急にきたりする。家族も何を言ってるの?と混乱し理解できない場合もある。
そんな時に心強く支えられる看護師の存在でこれからもありたい。