昔むかし利用者様が老衰で、
最後の危篤状態になった時、医師が病院に入院をすすめ、
なくなった場合、死亡診断書も書いてくれず病院に運ばれると、検死で警察が入ることを繰り返した経験があります。
警察からは、その時の介護職員や入居されている利用者様に事件性で問題がなかったか状態を聞かれたり、ご家族には遺産等お金の問題はないかと問われたり、自然の死なのに、医師が死亡診断書を書いてくれなかっただけで、とても辛いものになった時があります。
ある時、利用者様(患者様)のご家族から、管でつなぐよりも自然に最後を施設で迎えさせてほしいと強い願いを言われました。
医師より二人きりになって話をしようと言われて、「真鍋さんの親だったら延命したいかしたくないか?私は自分の親だったら延命をする」と言われました。
延命を是が非でもすすめる医師😅
私の答えは、うちの親はその時にならないとわからないというので判断できないということ、そして、私は延命ではなく尊厳死派だということを伝え。
「先生と私の死生観はあいません。わたしは、延命治療をすると苦しいとわかっている患者さんをみて、そうさせたくないと心で思っても、それでも家族が延命を望むなら、その支援をします。
私や先生が ではなく、患者さんや家族が望むことを精一杯するのが私たち医療職の役目だと思うのです」とお伝えしました。
数日私に顔を合わせてもくれず😅
数日後に、先生が
「よく考えたらそうだね、自分たちは患者さんのためにこの仕事に就いていて、自分は間違っていた」とおっしゃってくれました。
それから、いつでも先生を呼んだら、来てくれて何人もの方を一緒に命を見送ってきました。
医師も私たち看護師も病院で命を助ける仕事としてやってきて、自然に看取るということの経験がないときは、とても勇気がいりました。
先生も、はじめは餓死させるみたいで嫌だと私の耳元で言っていましたが、
その後、看取りを長年経験していき、点滴をしなくても身体が枯れていくほうが楽になること、人の温かさの中で、自然と看取りをする大切さがわかって来た時、不必要な医療はいらないと確信しました。
変わることを抵抗するのではなく、何のためにをしっかり擦り合わせて歩んできた先生との日々、今はとても懐かしい。
経験が人を変える★
これからも、まだまだ経験していきたいです!!
ほんと、餓死みたいで複雑ですね…
食べれなくなるのは当たり前なんだけど、延命処置を嫌った母だったのに、食べれない事実がどうしても受け入れられないみたいで。
ガリガリに痩せた父の姿を見ては、可哀想だと点滴だけはしてくれと頼んで実施されてたよ。
寝たきりのせん妄状態二ヶ月半、意識もなくなってかろうじて努力呼吸、下顎呼吸の半月。
母は、ポツリと、私の時は、こんなになったら薬を使って殺してくれと…
私も、先生も、誰も殺人はしたくないよ。そんなお願い聞けないよって口から出た。
でもね、本心だよね……
私も、そう思わなくない。
反面、一生を全うしなきゃとも、死ぬまで生きなきゃとも思う。
父はどうだったのかな。
そんなことを考えてたよ。
学生の時は、ブラック・ジャックに出てくるドクターキリコが、とんでもないやつ!って正義心で思ってたけど、今となっては存在の意義の大切さを考えちゃう
キムさん★
コメントありがとう
自分の家族のこと考えると本当に複雑。私は父を看護師になって2年目、54歳で亡くしたんだけど、毎日医師に説明をお願いしたり、今となれば正常じゃなかった。
私は、亡くなる時食べたくないって思っていても、もし雄太がお母さん食べてって必死に食べさせてくれたら、受け入れると思うんだよね。食べたくないけど、息子の気持ちが嬉しくって。複雑だよね。