【肺炎ゼロへの取り組み】

今、65歳以上高齢者の死因は、

1位悪性新生物

2位心疾患

3位肺炎

この肺炎は誤嚥性肺炎も多く😢

しかし、だからといって、

高齢者が肺炎で亡くなるのは当たり前ではありません。

予防ができます。

それは、口腔ケアや姿勢ケアにあります。

じつは、高齢者や障がいをもっている方で、肺へ唾液や飲食物がはいってしまっている方もいます。

汚いまま食事をすると誤嚥して肺炎に、寝る時にだ液を誤嚥して肺炎になることも。

でも、菌が肺に入らないようにすれば肺炎を予防できるので、

ノドがゴロっと言っている方の食前と、寝る前にも口腔ケア。

ずっと前、ある利用者様がゴロッと言い出し、微熱も続き、介護職員が誤嚥していないか、食べさせるのもこわいといってきたため、産業医大病院の嚥下リハビリ科に受診。

VFやVE検査をしてもらい、医師より、肺に入っているねと。本当!!

造影検査みて、こわっ!!

医師に相談し、口腔ケアと姿勢ケア、食事の提供の仕方を学び、

ある利用者様を事例に、マニュアルを作り、徹底したら熱も出なくなり、たんもなくなりました。

介護職員から、意味がわかった時、自分たちは、雲をつかむような仕事をしていると言われ、ホッとしたと。

意味がわかると応用ができるようになります。

以前、お世話になっていた高畠英昭先生。

(現在、長崎大学病院)

もともとは脳外科医。嚥下マニアでとても講義も面白い!!まなびたくさん得ました。

そして、

姿勢ケアは大事!!

食べる時、寝るときの姿勢に気をつけること。

食べている時

寝ている時に、あごがあがっていると、身体の前にある気管に唾液が入りやすくなり、誤嚥し、口腔内が汚いとバイ菌が肺にはいってしまう。そして、肺炎に!!

また、チームで進めるのに、

近くの熱い歯科医の先生を巻き込む!!ことも大切★

今の職場では、あすか歯科の濱口先生のおかげで、肺炎も、ぐうっーと減りました★

感謝です。

病院に入院すると肺炎になることも多く、入院させたくない。

介護現場をやる気にすると、

肺炎も予防できる☝️

【私たちが気をつけること】

私たち医療や介護現場が作っている障害(二次障害)をくい止めたい。

私は、医療介護現場で、

私たちが当たり前としてしていることが、患者さん(利用者様)への障害を作っていたり苦しめたりする事を数年前に知りました。

姿勢ケアで有名な、田中義行さんのセミナーで教えていただいた、

廃用性(何もしなくてもおこる)

誤用性(間違ったやり方でおこる)

過用性(して差し上げ過ぎでおこる)

私たちの対応の仕方で起きている障害があることを知ること。

そして、知った上でキチンと原則原理、根拠を知って個別に丁寧にアプローチすれば、病気や障害を予防出来ることを知り、現場実践でチームで体験してきました(現在も進行形なり)

まさに、介護の強みはそこにあり、

何か起きて対応するのではなく、

その原因を捉え、ケアをすることで医療は必要なくなる。予防が出来る。

もちろん看取りでいうと、加齢の変化を捉えられず、点滴や栄養を過多にとることで、身体に水がたまる。痰(たん)でゴロゴロ言う。それも誤用性、過用性にあたると思われる。

私は、福岡県で一番はじめに喀痰吸引等の介護職員が資格をとるモデル事業から指導看護師(講師)に携わり、現在もしてはいますが、

そもそも介護職員がチューブでの栄養や痰の吸引などの医療行為をするというより、

しなくなるようなケアや取り組みをすることのほうが大切だと思っています。

身体の手足が固まる拘縮(こうしゅく)、今や国民の65歳以上の方の死亡率第3位の肺炎、また褥瘡(床ずれ)、尿路感染症、起立性低血圧などなど~

これは、私たちが気をつければなくなっていくもの。身体の仕組みを知り、個別に丁寧に介護をする。多職種でアプローチする。

先日もご家族に最期の迎え方について、お話ししました。

ご家族の意向を確かめながら、どうするのか?逝くものだけではなく残されるもののこともキチンと考えて対応しなければなりません。

私ども聖ヨゼフの園は、自然の原理に基づいた看取り支援を行っています。

自然に苦しめずに最後を過ごしていただくためには、二次的に病気にならないように、しっかり口腔ケアしたりして肺炎にならないようにとか、クッション等福祉用具を使い身体を楽にする姿勢をするとか、環境を整えていく、声かけをし心に寄り添うとかいうケア介護が大切だと経験上感じてます。

今もまだ職場で一歩ずつ前に進んでいる状態ですが、医療は最後は必要なくケア(介護)を丁寧にすることが楽に穏やかに命を見届けることができると確信しています。

二次障害予防は本当に一つ一つ語り出したら、キリがない😅

経験に基づいた具体的な方法をお伝えできるように、もっと考えなくてはと日々試行錯誤中です。

来年度は形にして、もっとわかりやすく、現場に落とせるように、そしてその実践結果を外部へ それが課題だと思っています★

【何のための医療職???】

昔むかし利用者様が老衰で、

最後の危篤状態になった時、医師が病院に入院をすすめ、

なくなった場合、死亡診断書も書いてくれず病院に運ばれると、検死で警察が入ることを繰り返した経験があります。

警察からは、その時の介護職員や入居されている利用者様に事件性で問題がなかったか状態を聞かれたり、ご家族には遺産等お金の問題はないかと問われたり、自然の死なのに、医師が死亡診断書を書いてくれなかっただけで、とても辛いものになった時があります。

ある時、利用者様(患者様)のご家族から、管でつなぐよりも自然に最後を施設で迎えさせてほしいと強い願いを言われました。

医師より二人きりになって話をしようと言われて、「真鍋さんの親だったら延命したいかしたくないか?私は自分の親だったら延命をする」と言われました。

延命を是が非でもすすめる医師😅

私の答えは、うちの親はその時にならないとわからないというので判断できないということ、そして、私は延命ではなく尊厳死派だということを伝え。

「先生と私の死生観はあいません。わたしは、延命治療をすると苦しいとわかっている患者さんをみて、そうさせたくないと心で思っても、それでも家族が延命を望むなら、その支援をします。

私や先生が ではなく、患者さんや家族が望むことを精一杯するのが私たち医療職の役目だと思うのです」とお伝えしました。

数日私に顔を合わせてもくれず😅

数日後に、先生が

「よく考えたらそうだね、自分たちは患者さんのためにこの仕事に就いていて、自分は間違っていた」とおっしゃってくれました。

それから、いつでも先生を呼んだら、来てくれて何人もの方を一緒に命を見送ってきました。

医師も私たち看護師も病院で命を助ける仕事としてやってきて、自然に看取るということの経験がないときは、とても勇気がいりました。

先生も、はじめは餓死させるみたいで嫌だと私の耳元で言っていましたが、

その後、看取りを長年経験していき、点滴をしなくても身体が枯れていくほうが楽になること、人の温かさの中で、自然と看取りをする大切さがわかって来た時、不必要な医療はいらないと確信しました。

変わることを抵抗するのではなく、何のためにをしっかり擦り合わせて歩んできた先生との日々、今はとても懐かしい。

経験が人を変える★

これからも、まだまだ経験していきたいです!!

【延命の時代】

昔は、日本人は畳の上で亡くなっていました。その後、なぜ病院が亡くなる場所になったのか?

1970年、老人医療費無料化になり、病院に行く人入院する人が多くなり、そのうち高度医療が発達してきて長生きをするようになりました。

患者さんが病院に長くいることで、社会的入院と問題になり、医療費が圧迫してきたため、医療費も一時負担へ。

病院から在宅へ戻そうと、国は老人保健施設を設け、リハビリをして在宅へ帰そうという動きへなっていった。

私が看護師になった1990年代は、是が非でも延命時代。24時間点滴や、経管栄養。

何かあれば救う。

ある担当した患者さんから言われました。苦しんで亡くなる時救わないでほしいと。

そんな時、延命治療をして意識が戻った患者さんから

「何回も死ねずに苦しまなきゃいけないのか?」それが病院なのか?

すごく心が痛くなり、このことは一生忘れない出来事になっています。

点滴や経管栄養するために、管を抜かないようにゴメンなさいと手を縛る。また、目まぐるしい仕事の中で身体の向きは2時間毎に変える。その内褥瘡は出来るし、当時はMRSAが院内感染で問題になった時代。

何をしているのか?

私は人間でなかった。

こんなのが医療のあり方なのか。

父の死に向かい合った時も、看護師と娘の立場を行き来し、苦しみ、死ってなんなんだろうと常に考えるようになりました。

私が夜勤との時に亡くなる方が多く、

なぜって疲弊していた時、

看護師の先輩から言われました。

看護師や医師は人を救うだけでない。命の最後にも必ずいるんだから、そんな残念な貴女の顔を見ながら死んでいく患者さんはかわいそうと。

本当にそうだ。

その頃から、その方の最後にいる看護師として、最後生きていていてよかったと思えるような支援がしたいと強く思うようになりました。

それが今、命を見届けることを大切とする私の原点になっています。