【鬼の目に不覚にも涙が…】

『難病がくれた宝物-僕は今が一番幸せです-』
今日穂波まちづくり協議会で西園緑さんが主催された落水洋介講演会。
素晴らしかったです!!

zoomでの参加も始まる前の音楽からワクワクする感じで。
リアル参加や、手話の方がいたり、zoomでの参加も出来たり演出良かったです。

講演内容としてはいつもの話で最初は普通に聞いていたのですが、不覚にも途中から涙が止まらなくなりました(T_T)
ギャップが。

PLS原発性側索硬化症の身体は正直動かなくなっています。
進行していってます。

今までは、身体の動きが悪く、トイレが間に合わないこともあっても、意地でも夜トイレまで行っていました。
尿器を使いたくない。
ポータブルトイレも準備していても使いたくないからベランダに出してもらう。

「認めたくない。まだまだ行ける」
心の声を感じ黙って様子を見守るご両親。

でも、先日鬼看護師眞鍋とFacebookライブで彼は「これ今使ってま-す」と笑顔で尿器をzoom画面に出し、正直戸惑い驚きましたよ。

あー、前向きに心の折り合いをつけたんだと。一つ一つ動かないことを受け入れ手段を変え、えらいぞと。

「親の手助けを受けたくない」
あれだけ抵抗をしていた彼も、今はできないところだけ親の介護を受けてます。髪の毛を洗ったり、足を洗ってあげたり。

彼の病気は筋肉を動かすことでなおさら身体の緊張が出て固まってしまう。積極的に動かしたり、急に触ったり動かすことがかえって、身体を固めてしまう。

筋緊張で足や身体が固まった時、身体が小さいお母さんが必死に動かそう、支えようとしている。
それを申し訳ないと心苦しく思い世話になっている彼。

「でもまだ歩きたい」心の声が聞こえる。

先日もお家に行ったら、
内側に尖足になっている足で必死に廊下を歩いている。歩く時足が棒になるのでかえって危ない。

とにかくベッドに横になってもらって「おやすみー」と布団をかけた後、お母さんと別の場所で作戦会議。

玄関先で車椅子から降りる時彼は、短下肢装具を外し部屋のベッドに廊下の手すりをつたい歩いて向かう。

尖足予防のための短下肢装具だし、
装具をつけたままベッドに歩いていき、ベッドサイドで外した方が良い。翌日はいと受け入れる。

義肢工房ゆいさんで作っていただいた、装具★

いずれはできなくなったら、車椅子でベッドサイドへ行けばいい。

一つずつやり方を変えて行く。講演会で言っているように言葉でいうほど簡単じゃないし葛藤しているのは見ていて凄く感じます。
しかし、受け入れるしかない現状。

「目の前に起こっていることに意味がない。意味をつけることが出来るのは自分だけ」
今日の講演会で話す内容は今までと同じ話をしていても、一つ一つの言葉はとても考え深いものでした。

実際に身体を張って前向きに生きていっている落水洋介くん。

彼は失うこと以上に、可能性を見せてくれる。人に本当に勇気を与えられる人だと思っています。

私たちも困難なことありうることです。

悩み苦しみ抵抗し受け入れ、そして後ろ向きになるか?前向きになるか?

そして、何のために生きているか?

その姿を見せ人に問いかけ、いつもみんなの前では笑顔で存在する。

久しぶりに大きな会場でイキイキと話す落水洋介くん、
そんな彼の支えになるのは皆さん★
これからもよろしくお願いいたします!!

【施設在宅で今出来ることは何か?命を救い支える】

今、一瞬一瞬を活きる支援を私たちはするために存在している。

軽い肺炎で入院していたSさん
入院先の医師よりよくなったけど、認知症でご飯食べられないっ一週間の命って、ご家族に伝えられました。

施設看護師である私にも医師は「病院での認知症による看取りだから仕方がない」と言われ。
入院する時、元気に話していたのに諦めきれない。施設に帰ったら食べられるようになった方もいる。
医師に、「家族が望めば連れて帰って良いでしょうか?」
医師に行ったら無理だと言われた。

ご家族に電話し心境をお聞きする。
「父に会いに行ったら意識がもうろうとして、後一週間と言われても理解できる状態だった。亡くなる命なら施設に連れて帰って欲しい」強く願われ言われた。

翌日、医師に連絡相談。
「先生ご家族も私たち施設側も同じ気持ちです。食べられないでも施設に連れて帰りたいです。施設での看取りをお願いします」
あっさり退院許可が出た。

病院に相談員と一緒に迎えに行く。Aさん帰りますよと相談員が声かけると、Aさん覚醒して、「迎えにきてくれたのか?ありがとう」って泣いて

驚いた!!よくお話しするAさんに相談員と一緒に私も泣いた。

医師も驚きこれはヨゼフに帰ると元気になるか?と。

帰った後もスタッフで拍手✨
家族もえっ?昨日死にそうだったのに?と。

施設に帰り皆んなで拍手!!ご本人「ありがとう」と何度も帰れて嬉しいと。

しかーし。次の問題。
入れ歯があわず❗️
なぜか?病院に問い合わせ。
とろみ食食べてたから入れ歯していないからわからないと。

歯科医のスーパーマン戸畑あすか歯科の濱口先生に電話。
すぐ来て診ていただきフードテスト。入れ歯してもしなくても、これは危険だ。頭抱える。
入れ歯作り直すのに一ヶ月❗️
先生考え、「んー明日一日で今の義歯を加工しどうにかします」

私つい小声で「先生?歯科医は普通入れ歯を技工士ではないので作り直すことできませんよね」と問う。
「五島の離島にいた時にせざるえなくて全部してました」
納得!!すごーい!!感動!!

「わしの命は任せた」とAさんが先生に言い握手

Aさんと濱口先生の固い握手(笑)命を任せたと。

翌日、義歯を技工していただき。
無事に、Aさん自分の手でご飯食べはじめました

あのまま病院にいたら意識朦朧として、入れ歯もしないと食べられるはずもない口の状態。きっと亡くなっていた。

今までも沢山あります。
病院は疾患(病気)を治す場所です。
必要な時は入院。
しかし、その方によっては環境の変化で認知症状が出たり意欲が低下することもある(今回はせん妄ですねきっと)

病気は治ったが食事がとれない、または治療が不可能でこれ以上難しいと判断された場合、連れて帰れる状態なら連れて帰って欲しい。

うちの看護スタッフのお母様も末期癌で連れて帰り今年、在宅看取りをしました。
別の介護職のお母様も今回、末期癌でコロナ禍で会えないのは辛いと、病院の先生に連れて帰りますと言い在宅で見ています。介護休暇を上手くくれる職場もありがたい。

帰れる環境であるというのが一番幸せ。

私たち在宅、施設がそういう体制でいることは、チームでなければいけません。
今、一瞬一瞬を活きる支援を私たちはするために存在していること。
忘れてはいけない。

看護師である私が動いたから帰れたのだと皆んなからありがとうと言われるけども、ご家族や施設スタッフが同じ気持ちでAさんを施設に連れて帰りたい、そして諦めたくないと願ったからです。

また、歯科医の濱口先生に電話したら30分もかからず速攻来てくれて、
翌日数時間かけて義歯を加工し食べられる形にしてくれたこと。
先生がいなければ食べられてなかったし命もどうなってたか分からなかった。(義歯に名前を入れてくださいました)

ワンチーム✨

病院に対して批判するというよりも、私も病院につとめてたら同じことしていたかもしれません。

病院にいたら可能性を探れない、環境に限界がある。
だから、施設で在宅でここまでできますという提案がもっと出来る方が増えるといいですね。

これはきっとウチだけではなく、在宅支援ではあるある話です

【何のために介護をしているのか?】

介護のハートに火をつける♥️

基本を知ること★

ある時介護スタッフから言われた。
介護の仕事って雲をつかむような仕事なんですよね。なるほどって思った。

だけど介護だけでなくって、
すべてにおいて同じだということ。

今見える目の前の現象しか見えていない。本当の奥底(本質)と向かい合って解決しなければ、また同じ問題が起こる。

例えば、いつも転倒する。
なぜ?傷ができるのか?なぜ転倒するのか?

*ひょっとしたら、歯(義歯)がないから、歯で踏ん張ることができなくって転倒しているのかもしれない。

*したいことを、ダメだと言われるから気持ち的に落ち着かず転けるのかもしれない。

*下剤の使用でお腹が痛くなり動くのかもしれない。

*周りの環境を整えれば、転倒しないのかもしれない。

*介護するものの不注意はないか?

*もしや、もっと足の力をつけることが転倒防止かもしれない。

など、あげればキリがない。

物事勝手に決めつけていないか?

ある時、ご利用者が何度も転倒し上手く言葉にならず。コールも頻回。
介護者からは、危ないといっても理解できない、認知症ではないかと言われた。

私は、脳に異常はないかとご家族にも説明し神経内科にお連れして受診した。

そして、受診結果は、【進行性核上性麻痺】だった。

大脳基底核、脳幹、小脳の神経細胞が減少し、目の動きが悪くなり下が見にくくなり、しゃべりにくくなる病気。だから転倒する。

しかし記憶を司る脳の海馬は問題なく、物事は理解きちんと出来ていた。

理解できないと決め付けていた
のは介護者の勝手の思い込みでとても傷つけていたことを知る。

車で帰る時、向かい合ってお話しすると、涙をたくさん出して、生きていて辛いと言われた。

私はご本人に、この病気は下の方や周りのものが見えづらくなる病気なので、ベッドの周りの環境を整えることと、ご自分でも下を周りをゆっくり見るよう気をつけるようにお伝えした。ケアマネに伝え環境を整えシュミレーションを何度も行った。

そして、介護職には病気の特徴をペーパーにして渡し、病気を理解せずわかっていないという私たちの勝手な思い込みが、ご利用者を傷つけてしまうのだと伝えた。

介護する側もわからないことに大変な思いで仕事をしている。

わかったこと見える化をすることで、こうしたらいいのでは?と前向きに明るくなった。形をつける大切さが身に染みた事例だった。

私たちは、本当のことを知らずに、何人もの方を傷つけているのかもしれません。

何のために私たちが存在するのか?

それから、ぐんと転倒が減っていったのは言うまでもない。

また、そもそも認知症だからとわからない、理解できないと思って接している方の多いこと。じつはわかってるんですよね。

皆さんの態度一つで傷つけたり、逆にお相手の喜びや生きがいになったりする仕事だということ。

そこが大切★

今ある現象だけを上辺を見て思い込みで対応したり、深く考えずにアプローチ続けても解決しないこと。

このコロナ感染の時期もそうだろう。本当の対応方法をしっかりみんなが知っていて対応すれば、グンと感染者も減るだろう。外にも出れるようになる。

でもそれぞれの感覚、価値観は違っている。
「みんな違ってみんないい」ということをしっかり定着するには、基本.本質を知ることだと思っている。

また、知るだけでは出来る事にはならない。もっと介護にひとつひとつでも形をつけたい。そのために、はじめた知野良和さんとの【介護のハートに火をつける】

前回の様子

介護に携わりいい部分も悪い部分もたくさん見てきて、感じたことを伝えたいと、わたし、普通でいることをやめました(笑)もっと自分の知っている知識を発信したいと思う。

誰かのために自分の人生を使えるのであれば、残りの人生必死に生きてみようと。

【共に今をwin-winで活きる!!】

人は自分の経験の中で生きている。

環境に左右される私たちは、生まれてから辛いこと、寂しいこと、何かしら不完全なまま大人になって…。

生きづらさを抱えて生きている人が多い。

皆そのままの存在は、とてもありがたく、尊いものなのに…

皆さん
全国に経済的な理由や虐待など、さまざまな理由で親から離れた子供たちが、児童養護施設でたくさん暮らしているの知っていますか?

この時期(7月)になると思い出す★
カナエール夢スピーチコンテスト✨

カナエールとは、児童養護施設を退所し進学する若者たちの「資金」と「意欲」をサポートとして存在し、

2011→2017年まで、横浜、東京、福岡と児童養護施設等の子供たちの進学を応援する夢コンテストが開かれました。

私は、2015年福岡、チームブラックとして、ゆうせいとチームを組み出たコンテスト。
120日大人3人と向かい合った日々は貴重でした。

あの時何度も施設に通って心の奥底にあるものを引き出すのに葛藤したな(笑)
本当に今でも私にとってかわいい息子です。

そして2016、2017年ファイナルと北九州にて開催した夢スピーチでは事務局スタッフとして仲間と駆け抜けました

現在、あと3名の奨学生が未来の夢のために勉強に励んでいます

親がいないよりも、いるけど避難してきている子どもが多い現実。

決して彼ら彼女らが特別なわけではなく、日常の中で心の中で助けてと叫んでいる子供たちの存在が沢山あること。

施設を卒業したその後の子供たちの支援がしたい。そんな思いもまだ私の中にあります★

きっと、大人の私たちも同じで、助けてと心は悲鳴あげているのに、自分一人で向かい合うには、立っては入れなくなるから、蓋をして必死に周りに合わせて生きている。

そんな方の存在を沢山感じます。
認めて欲しい、愛して欲しいって。
本当は沢山愛されているのに、自分だけって殻に入っている。

自分だけでない、皆んな弱い存在です。

その弱さを知ってるからこそ、未来のために私たちがすることがまだ、あるんじゃないかと思います。

一歩でも前に進む、動く

まず人のことより自分はどうか?

真ん中にある本当の自分の気持ちや本質に触れ、
そして素直に弱さも強さもオープンにして、応援してくれる人に協力してもらうこと。

それは、
今を生きる【活きる】✨

これも一種の人生会議ですね✨

そんな姿が未来の子供達を元気にすると思います。

時松順さん(トッキー)から教えてもらった言葉✨
頑張るな夢中になれ!!

【一緒に未来を明るくしませんか?】

見えすぎるから、
苦しいことが沢山ある。

人のこと。コロナのこと。仕事のこと。世の中のこと。命のこと。

全部を自分でどうにか出来るなんて決して思ってはいない。
でも、心ある人が組めば何かができると信じている。

気持ちがくすぶっているんだけど行動できない人が山ほどいる。

動き方がわからない。
何がなんだかわからない。

苦しい渦の中にいると
なす術がないと思ってしまったり、
耐えきれるかと不安になったり、
憤りを感じて八方塞がりになったり。

今もきっと近くで、声に出せなくて生きている人がいる。

虐待で苦しんでいる人がいる。

病気と戦っている人がいる。

愛する人と会えずにお別れした人もいる。

どこに光があるかわからないけど、
とにかく生きるためには前に進むしかなかったから、ただ単にここまでわたしも前に進んできただけ。

今動ける自分が幸せであると思っているだけ。

吉藤オリィ(ロボット研究者)さん
私が今、特に感銘を受けている方★

生きるとは?死ぬとは?を10代から考えてきたオリィさん。
孤独から脱却するために?オリヒメを作ったり、勢力的に動いている。

30歳で死ぬと仮定して、今を生きる、一瞬一瞬を大切に生きるをしてきた。https://careerhack.en-japan.com/report/detail/1171

ねたきりの未来をどれだけ考えれるか?
私はねたきりの方と日常を共にしている。だからこそ、当たり前ではなく、もっと自分を奮い立たせることが必要と思っている。

【人間はどんな人と出会うか、誰を何をするかによっていかようにでも変質していく生き物である。】

落水洋介くんの存在もそうだ。

世の中沢山の心がある人が繋がって動くだけで、どれだけの人が助かり、未来が明るくなるか☆:.. o(≧▽≦)o ..:

それをこれからも挑戦していきたい。

一緒に動きませんか?

【施設看護師の感染予防の評価を!!】

~日本は海外に比べ

高齢者施設での死亡者が少ない~

ダイヤモンドオンラインの記事。

昨日のうちの法人の理事長がサイボウズ Officeで情報発信あり。

内容を見てみると、日本の社会保険制度の歴史、医療や介護制度のしくみが大きく関与するが、

高齢者施設で感染が予想よりも拡大していないのは、施設の感染予防に看護師の存在があることを評価にしてほしいと切実に思う。

https://is.gd/LTTFdG

高齢者施設(老健以外)は医師の常勤がほとんどない。

施設内の医療に関しても、私たち看護師が経営者や責任者と話し合い判断していることが多い。

感染予防は、日頃から施設の看護師が施設内スタッフとともに行っており、病院とは違い生活全般での利用者やスタッフ自身の健康管理も任されている。

外から内に感染症を持ち込まないような工夫に関しても、とても神経を使う。

私たちは不安ながらも、この施設や利用者やスタッフの生活を守るために必死ということ。

正直、全国の講師業にまわっていたり、喀痰吸引の講師をしていたりすると、施設の看護師の責任の重さと給料の安さの不釣り合いを訴えられることも多い。

介護職員は給料UPを言われるも、私たちの存在はどこで評価してもらえるのか?

特養の夜勤をしている介護職より安い。

病院から入職してこんなに安いと思わなかった。

どうにかして欲しいと言われることも多い。

本当にたぶん、皆さん驚かれるほど少ないんですよ

(私は何が出来るわけでもないが、声を集めることは出来る)

私たちは病院でない看護の動き方を習わずに施設の勤務をし、医師がいない中の生活の中で予防や疾患、緊急時、医療的受け入れのいろんな判断、連携をする。

いくつかの施設看護師のコミュニティを立ち上げ情報交換をしているも、コロナ感染症予防について、皆んな必死に取り組みをやっている。正直感動する。

具体的な感染予防について、面会、外来受診、訪問診療のあり方について、職員の発熱者の対応、免疫力の活性化、行事、看とり期の対応、緊急事態宣言についての対応などなど、お互いの知恵を出し合い情報交換。

このコロナの件では、全国で施設で命を守られている看護師の仲間の頑張りで、高齢者施設も感染症の発症が減っていることも評価して欲しい。

私は、自分の法人では施設経営者の判断、リーダー等感染予防委員会の動きで、医療的な視点で特化して動けるのには感謝している。

他職種、連携してくださっている医師、外部の方々、また会えなくて辛い思いをしているご家族様なども含め皆さんとの力合わせ、今後もまた引き続き気を緩めることなく、頑張っていきたいと思う。

【一歩を踏み出した後の景色が変わる】

どれだけ世の中に、あきらめて生きている人がいるんだろう?

生きてきた過程環境で決まってきて、その中で葛藤してみてダメなことに出会うとあきらめてしまう人が多い。

こんなことしたら人からどう思われるだろうか?失敗しないか?笑われないか?わからないとか言えないし、そう思っている人。

わたしも実際、不安な気持ち抱えて生きていた時があった。

正直、立ち止まったり、後ろ向きに歩いてみたり、また一歩進んだり、ある時は一気に進んでみたり。
わたし何してるんだろうと笑えてきたり。頭おかしいんじゃないかって思ったり。

ある時、「こんな自分じゃ嫌だっ!!」って、必死に走ってみたら、見える景色が変わってきた。

今もつまづく事多く、あーって一人で発狂することあるけど、
その原因は自分次第と今は思えるから、人のせいにするよりラク。

わたしの周りに、
「認めてほしい」
その気持ちが、
裏腹の行動をとって、
人を攻撃する人もいる。
または、そこから向かい合えなくて逃げる人もいる。
もっと強がって
後には引けなくなり、人から認めてほしいはずが、もっと非難されるようになる人。

本当は寂しいのに、認めてほしいのにね。

わかってるはず、どこの場所に行っても一緒。
自分と向き合うためには、信用できる人一人でもいいから、見ていて、わたし頑張るから宣言してみたらどうなのかな。

やってみたらいい。
上手く歩こうとしなくていいし。

きっと見える景色が変わってくるから。

【今の時期だからこその人生会議】

新型コロナウイルス感染症流行において、皆様においても大変な毎日を送ってらっしゃると思います。

私は、高齢者施設に勤めていますが、このような時に老衰や末期癌で人生の最終章を迎えた方が3名、またもうお一人ソロソロかなぁと思われる方がいます。

逝かれるタイミングもそうですが、残される家族の気持ちも様々。

いつもより面会時間に制限がある中でのお会いするタイミングについてなど非常に悩みます。

まず電話でお話しするときの言葉の選択、面会の設定、ビデオ通話での面会について、医師と会い説明するタイミング。

一瞬一瞬の私たち支援者の心配りをどこまでするかにかかってるなぁと思います。

施設看護師をしていて、もしもの時が近くなっている時は、医師よりも先に説明することがほとんどです。

90歳すぎても自然に加齢で訪れるお看取りでも、【延命はしたくない、だけど一日でも生きて欲しい、頭ではわかってるんです】その言葉を聞くことがとても多いです。

一番、利用者様が命を引き取るまでのタイムリミットとご家族の心の整理がつく時間のタイミング合うように支援をするのにとても神経を使います。

家族支援については、ケアマネや相談員と一緒に話し合いながら行います。

病気の説明をする時には、ご家族から昔はこういう母(父)だった。ご家族としてどういう思いで過ごしてきたか、先日はその背景にはお孫さんがいて、ばぁちゃんから可愛がってもらったとか、気が強いところはばぁちゃんからもらってると泣き笑いして語ってくれたり。

(あー私とかぶるとか思って共感したり)

そのような話を聞くことも大切にしています。語ることが癒しになるのですよね。

しかし、コロナに感染したらどうでしょう?そのような向き合う時間さえないかもしれない。

コロナで亡くなる方も、高齢で自然に命を全うされる方も、そして毎日を必死に生きている私たちも同じ命。

皆さんも一度考えてみて欲しいのです。

ご家族や知り合いがコロナに罹患し、急に症状が出て、医療機関に行き、会えずじまいで最後の命の選択を迫られる。

短期間で永遠の別れになることも。亡くなった後も葬儀も出来ずお骨になり会う。もし自分の家族なら、濃厚接触者で自分も隔離されてる可能性もあります。

その立場を考えると本当に心苦しいです。

PCR検査をするか否か、入院するか否か、人工呼吸器を装着するか否か、など様々な選択を迫られる。

そんな時、一般の方に人工呼吸器をどうするかと言われても、実感がわかないのはあたりまえです。

こんな時期なので、ご家族とも接しないように距離を置いていらっしゃる方もいるかと思いますが、今だからこそ、ご家族と価値観や人生感、自分がどういうことを大切にしているのかということを話し合う機会に。もしもの時どうするか?

いつも命に向き合ってるとそう思います。

結局は心の整理なのです。

どう関わり思い出を作っているか、行動したか?とにかく後悔してほしくない。

「もっと話しておけばよかった」という後悔や「突然起きてしまったからどうしたらいいかわからない」ということにならないように。

私も母(ばぁちゃん)と会わずに電話で話をし、その時母と一緒に暮らしている息子から電話がかかり、今感じてることや暮らしについて話をする。

話すことで何だろう、普通にこうやって話ができたり、生きていることが嬉しいなと思いました。

息子とは本当に反発し合い話さない時期が長かったので、なおさら(笑)

去年はじめた、北Q人生会議異業種プロジェクト会議。

https://www.facebook.com/groups/530456484178404/?ref=share

3月から延期になっていますが、こういうときこそ、身近な方と語り、いろんなお話聞かせていただけたらなぁと思います。

そして、また皆さんと無事だったことを喜び合える日がくればと。

こころ穏やかに、少しのことでも感謝して生きたいと思います。

【当たり前の幸せとは?】

突然ですが、私は、体を動かせます。

私は、しゃべることができる、目が見える、耳が聞こえる、手を動かすことができる、歩くことができる、ご飯を食べることができる。

行きたい時にトイレに行って排泄をすることができる、夜寝ているときに自分で寝返りができる、ベッドから自分で体を起こすことができる。

喉が乾いたら飲みたいものを自分で手に取って飲むことができる、好きな食べ物を選んで食べられる。

体を動かして仕事をしてお金を稼ぐこともできる、人と会ってお話ができる、行きたいところに行くことができる。

いろんなことを言うとキリがないが、今挙げたことに関しても、一つ一つ分析をすると複雑な要素が絡まっている。

そのような、あたりまえのことが、あたりまえであることを私は時々幸せだなと振り返ります。

それが自分を大切にすること、周りを大切にすることだと私は思えるようになりました。

きっと、P L Sの落水洋介くんのおかげですね(笑)

https://www.ochimizuyousuke.com/

動きたくても動けない人は世の中、沢山います。

なりたくない病気になってしまっている方。

本当は親と一緒に愛されて生活したいと思っている子供たちなど。

自分の強みは何なのか?

まず自分の弱さを認めた上で、前に踏み込む、強みを活かすことが大切だなぁと最近思います。

幸せの定義ってそれぞれと思いますが、いいところ探ししてみると沢山出てきます。

うつのご利用者のところに訪室すると、身体の具合が悪いことをよく言われます。

また、私は死んだ方がいいのではないかなど…。

もったいないですね。

〇〇さんはこうやって、私とお話しできていますし、歩くこともできる。ご飯も作ってくれる方がいるし、お風呂も入れる。それと、ひとりぼっちじゃない、一人じゃないので寂しくない…。

幸せですねと言ったら、笑顔(^-^)

笑顔が一番素敵ですねというと、

だいたいが顔がほころびます。

これを毎日、訪室してお互いいいあうことができれば、精神的に落ち着くかなと思いつつ。

しかしすいません、継続することが苦手なので、毎日出来ていない

習慣化することを習慣に(笑)

出来るできる!!

【私の認知症のばぁちゃん】

私のばぁちゃんは、特別養護老人ホームで最後は過ごした。措置時代、平成10年92歳でなくなった。

私自身は、2歳の頃から若松の有毛という場所で、祖父、祖母、父、母、兄と過ごして育った。

祖父じぃちゃんは、私が小学校二年生の時肺がんの骨転移で亡くなった。

背中にコブができて痛がってると、嫁である母が病院に付き添い、発見した時には末期だった。

九州厚生年金病院に入院し、じぃちゃんは苦しそうに亡くなったのを覚えている。

とても優しいじぃちゃんで大好きで、苦しんでいる姿を見て、神様はひどいと言っていたのを覚えている。

ばぁちゃんは気性の激しい人だった。

ジュリー(沢田研二)とプロレスのテレビを観るのが好きで、アメをやるから一緒にテレビを見ようとよく誘われて、テレビの下の扉から氷砂糖を取り出しては、私の口に入れてくれていた。

私が学生の時、ばぁちゃんは、大腸検査をした時に体調を崩し食事が食べれなくなった。

病院から電話があり、命が危ないのかと思ったら、混乱状態で点滴を抜くので大変だということだった。

認知症状の悪化💦

どうにか食べられるようにはなったが、認知症の祖母との生活がこんなに大変なものになるとは思ってはなかった。

自宅に帰ってきたら、

私をどこかにやったらいけないと監禁されそうになるわ。

財布が無くなったからと、何度も夜叩き起こされるわ。

私は、いいことを考えたと思い、同じ財布を👛買って、ばぁちゃんここにあるよと渡していた。

(ある時、手に二つ同じ財布を持っていて混乱していた💦)

満洲に昔いたことがあり、「クーニャン」とよばれたと思えば(娘のことらしい)、泥棒が服を変な風にしてタンスに戻してくると、自分で破ったりしてぐちゃぐちゃにして、いれていて。

泥棒のマークがあるとまた、呼び出される、勘弁してくれーと思い行く。

泥棒のマーク、それはYKKのマーク(笑)

泥棒が盗んでは、ここに戻していくと、見事、YKKのチャックの服を集めていたのには逆に感心した。

そしてある時は、人糞まみれで犬と帰ってきたのには驚いた。

そのころ農家の畑に人糞を撒いていたので、犬を散歩させ、こけたらしく💦

徘徊は酷くなり、近くの方がトラックでつれて帰ってきてくれたことも。

途中、歩けなくなりおかしいなと思ったら、大腿骨を骨折していたらしく、私も学生だったので知識もなく💦

ばぁちゃん、ごめんね。あの時は神様ありがとうと思ってしまったのよ。徘徊するのにホトホト疲れていた家族。

そんな時、ヘルパーさんが来てくれていて、うちの家にホッと明かりがさした感じだった。

(その方の影響でうちの母は、ホームヘルパーの資格を取りしばらく働いていた)

その後父が入院し、通院が大変になったので、いろんな介護施設のショートスティに行ってもらい。

父が亡くなった時も、ばぁちゃんには知らせない方がいいと葬儀に親戚は出さず。

ショートスティ先のスタッフから、ばぁちゃんが息子である父の名前を呼んで混乱していると言われた。

親戚に反対されたけど、いやっきちんとお別れをいった方がいい!!と勝手に初七日の日に連れて帰って、ばぁちゃんに父が亡くなったこと説明した。

じっと遺影をしばらくみて、

認知症であれ、きちんと受け止めたようで涙を流してウンウンと頷いている姿を今でも覚えている。

結局は、転々とショートスティや老健施設に行っていたけど、最終特養に入所させてもらった。

祖母は嫁いびりが酷く、うちの母が時々出て行ったこともあるくらいで、でも、認知症が酷くなっていくと、実の娘たちよりも嫁の母に対しての信頼をとても感じたし、母も最後はよくしたと思っている。

私は内孫で、本当に大変でくそばばぁだったけど、一番かわいがってもらった。

特養に入所して外泊させていたけど、最後は、帰る帰ると夜中に起こされて、あーっもうばぁちゃんの居場所は老人ホームになったんだと思う瞬間があり、平成10年最後は老衰で亡くなりました。

その頃はまだ、老人性痴呆と病名がつけられており、措置時代で、私も看護学生から看護師になった時なので認知症ケアがどんなものかわからず、家族としての立場での葛藤が沢山ありました。

内孫で一番そばにいたので、気性の激しいばぁちゃんには苦労はしましたが、今の高齢者に携われているのは、ばぁちゃんのおかげだと思っています。

今、天国で私のこと見守ってくれているかな(笑)

ばぁちゃん、ありがとね。