【死ぬということ②】最後に何がしたいか?

私は、自然に亡くなる命の見届け方が一番と思っています。

食べられなくなるのは自然の道理。

自然に高齢で命を全うする時、

「最後は、医療は必要なくなる」

最後、老いていくと水分を体の中で処理できなくなり、かえって点滴など水分や栄養を入れていくと、身体に水が溜まる。

むくんだり腹水がたまったり、痰が貯まったりと、かえってご本人をきつくしてしまいます。

なので、食べられるだけ飲めるだけ、自然と身体の水分をとっていき、最期を迎えるようにするほうが、脳内のホルモンが出てきて最後ウトウトと楽になり穏やかに命を引き取る方が多いです。

介護現場で100人くらいの方を見おくってきましたが、その後のお顔は本当に穏やかで、いい顔をしてらっしゃる。

栄養や水分を摂るという視点ではなく、

好きなものを少しでも味わってほしい。

その方にとっての好きなことをして欲しい、そう思うのです。

まっ、究極を言えば、

最期になって何かをしようとするのではなく、日頃から一瞬一瞬を大切に、日常からの普通のことを普通にしていけるよう支援できればいいなと思います。

でもその、普通って何だろうか?

先日、ベストセラー作家の池田貴将さんとお会いした時に、「僕は最後は食べることはどうでもいい、読書が何よりも好きなので、最後読書ができればいい」

池田さんにとっての普通の日常は読書です。

どうしても、介護者は、

食べていただくことに執着しているけど、食べることはどうでもよい方もいるんですよね😌

最期の瞬間、ある人に会いにいきたいのかもしれない。好きな場所にいきたいのかも?

普通にお風呂に入って、安心できる人のそばで、ソファーに横たわっていたいのかも?

人の価値観ってそれぞれ。

あー、そのようなこと、当たり前に実現できるようになればいいな。

そのためには、身体の原理を知って、医療者は身体を楽に整える。苦しめるために医療があってはいけない。そういつも考えています。

最後は、医療は必要なくなる。そのことを医療や介護者は、知るべきだと思ってます。

詳しくはまた次回へ。

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